戦争で4つに減った寺が十二支を分け合い、本尊を守る

当時は、首里城を囲むように寺院が建立され、その僧侶は、王府の相談役としても重用。高い地位を得ていたとされています。その後、一般の人々もお寺でのお参りをするようになったのは、明治時代以降。

首里城を中心とするそれぞれのお寺を十二の干支に見立て順番にお参りする、「てらまーい」が流行しました。

首里観音堂・善國乗栄さん
「もともとは十二支の干支の仏像をお城の周りに配置してお城を守ったと」「首里城がこうして守られてきたことを意味して、一般の方々もこの十二支を回ると何かいいことがあるんじゃないかということで、大衆に広がっていったんだと思います」

沖縄戦などにより、現在は4つに減ってしまった首里城周辺のお寺では、それぞれで十二支を分け合い、本尊を守っています。例えば、首里城から西に位置する安国寺では、酉年の守り本尊、不動明王が。

首里赤田町にある、西来院、通称「だるま寺」では、うさぎと犬、イノシシを祀り、文殊菩薩と、阿弥陀如来が。
首里儀保町の、盛光寺では、ひつじとサル=大日如来を祀っています。

そして、12の内、子・丑・寅・辰・巳・午と最多6つの干支を守る首里山川町、慈眼院(首里観音堂)。
千手観音と、虚空菩薩。元々は円覚寺にあったとされる普賢菩薩や、今年の干支・午の守り本尊=勢至菩薩が祀られ、今も、地域の人々が多く訪れ手を合わせています

善國乗栄さん
「首里城の周りのお寺をお参りすることによって功徳を得れるっていうんですかね、そういうお参りの仕方が広まっていたとも聞いております」「もともとやはりこの首里城と王族とこのお寺、お坊さんというのは、外交面でもすごく密接な関わり方とも聞いておりますし」

「一般の方々が首里に来て、お城に行って、お寺もお参りして、心が清らかになるような、そういう地域になってほしいなと思っております」

首里のお寺を回り、家内安全や開運・厄除けを祈願をする「てらまーい」。琉球王国時代、王族が訪れ、手を合わせた首里のお寺には、今も、多くの人々が訪れています。