首里城復興までの歩みや地域の人々の思いを描くシリーズ「おかえり、首里城」。今回は琉球王国時代に深く根付いていた仏教文化についてです。かつて、首里城の周りに数多く建立されたお寺を、方角から十二支に見立て順にお参りをする「てらまーい(寺参り)」という参拝文化の背景を取材しました。
盛んだった 琉球の仏教文化
首里城に隣接し、かつて沖縄戦で焼失した、円覚寺(えんかくじ)。再建が進む首里城とともに。円覚寺でも復元に向けた工事が進められ、現在、敷地中央に位置する「三門」の建築作業が行われています。
琉球王国時代、首里を中心に広がりを見せた仏教文化。特に、3大勢力を平定して初めて琉球統一を果たした「尚巴志」の息子で、1454年に即位した第6代国王・尚泰久は、仏教の普及を推進、首里に多くの寺院を建立しました。
「鎌倉の円覚寺を見本に作ったのが沖縄の円覚寺。字は一緒です。ただ、読み方が鎌倉は円覚寺(えんがくじ)、沖縄は円覚寺(えんかくじ)」「地域を安全に守るため、そういった思想のもとに仏教を取り入れたんじゃないか」
那覇市首里寒川町。首里高校の向かいには安国寺(あんこくじ)があります。
円覚寺と同じく臨済宗のお寺で、1457年、尚泰久によって建立されると、1674年に現在の場所へ。沖縄戦で一時は焼失しましたが戦後復興され、首里の町に根付いています。
安国寺・永岡理秀住職
「首里は全部臨済宗、まあ琉球王朝が帰依したのが臨済宗。なんで臨済宗か分かる? 一番邪魔にならない宗派(笑)」
「まず己が悟ることが優先。 自分に目覚めるということ。だから座禅するじゃないですか。 自分自身を見つめて、自分自身の本心を見つめて、仏を見つけるというのが臨済やから。そういったものは邪魔にならない」














