命をつなぐための母の決断

母・とみさんが眠る墓は、宮城県大郷町にあります。決断の証が墓に刻まれているのです。

早川豊美さん:
「9人の子どもの名前が書かれている。中国人と再婚して出来た子どももあわせて名前が書いてある」

とみさんが下した決断、それは現地の男性との再婚です。自分と妹を守るためだったと早川さんは考えています。

早川豊美さん:
「日本の名前を使うと現地の人にいじめられる。我々は、中国のお父さんに助けてもらって」

満州に渡った日本人の調査を長年続ける専門家は、当時それなりの数の日本人女性が苦渋の決断を迫られ「残留婦人」として中国に残ったと話します。

満蒙開拓平和記念館 寺沢秀文 館長:
「本当の意味で結婚したいと思って結婚した人は、ほとんどいなかったと言ってよい。多くは仕方なく生きていくために、自分の家族・子どもたちのために、中国人の家庭に入っていた人が残留婦人のほとんどを占める」

中国人の父との間に8人の子をもうけた母・とみさんは、日本に帰国することなく1970年、53歳で亡くなりました。

早川豊美さん:
「毎年来て、私はこのように元気で生かしてもらって、申し訳なかったなとは思っている。(亡くなった)兄弟たちも日本に帰りたかっただろうと」