ソ連侵攻と過酷な逃避行

生活が一変したのは、終戦間際の1945年8月9日。ソ連による満州侵攻が始まったのです。
早川さんの父は、その前年軍に招集されたため、母と兄弟の6人でソ連から逃れるため南を目指しました。当時10歳。逃げるために乗った列車での光景が目に焼き付いています。

早川豊美さん:
「ロシア兵が、女を出さなければ、汽車を出発しないと金を出さないから脅してきた。その人(同じ集落の女性)が、志願して助けるために、その人が行って3人にやられて」

約2か月をかけてたどり着いたのは、宮城村があった佳木斯(じゃむす)から500キロほど離れた都市・長春(ちょうしゅん)です。妹2人は、このとき、すでに亡くなっていました。

早川豊美さん:
「(妹が)亡くなって、駅の枕木の上に置いてきたり、あと一人(の妹)は、母がおんぶして長春に来てから埋めた」

ほどなくして5歳の弟も亡くなりました。その後、早川さんは、18歳までをこの長春で過ごし、1953年に1人で帰国することになります。生き抜くことができた裏には母・とみさんのある決断がありました。