「許す努力は死ぬまで続く」葛藤と反戦の願い

原爆ドーム前のとうろう流しは、戦後、自然発生的に始まり、今は地元の商店街が事業として引き継いでいます。

下井さんは商店街の理事長で、とうろう流しの運営委員長を務めています。

広島ピースメッセージ とうろう流し運営委員長 下井良昭さん
「広島の人間だし、身内が原爆で亡くなってるし、ここの平和公園がもともとおやじがいた所だし」
戦後生まれの下井さんですが、原爆の惨状や、その後も続く後遺症・心の傷など、身近に感じながら育ちました。
火を持ち帰った山本さんも、晩年まで葛藤していた、と下井さんは言います。
戦場ジャーナリストのインタビューに、その頃の心情を吐露している山本達雄さんの肉声が残っています。
Q 原爆とアメリカを許せますか?
山本達雄さん
「日本人として・・・それがもう、なかなか。その事実は消えんけど、水に流す努力をせんかぎり、一生懸命、気持ちを落ち着けて、そういう恨みは洗い落とさねばならん、その努力だけは死ぬまで続く」
恨みを洗い流し、憎むのは、戦争という行為。
その思いを山本さんから託されたと下井さんが感じたのが、2003年、アメリカのイラク攻撃を止めて欲しいと頼まれた時でした。

広島ピースメッセージ とうろう流し運営委員長 下井良昭さん
「自分のお金が少しあると、そのお金を使ってでも、戦争をやらないようにどうにかしてくれんか、という風なことを言われました。他のグループが広島で人文字を作ってアメリカの新聞にそういうこと(反戦広告)を発表しようという計画をしとるから、じーちゃん、大丈夫よ、あなたが心配せんでもみんなが動きよる、と」














