感情が消えた1年半。刑事裁判のエンドユーザーは「私たち市民」
裁判は1年3か月で一審無罪が確定し、私は職場に戻ることができました。
しかし復帰してから1年半ほど、感情の起伏がほとんどなくなっていることに気づきました。
大きなことがあっても落ち込まず、喜ぶこともできない。拘置所にいる間、期待しすぎてがっかりしないよう、自分の感情を抑え続けていたのだと思います。
頭の中でガラスが割れる音を聞いたとき、ようやく感情が戻ってきました。
私がすごく怖かったのは、何年という長さだけじゃなくて、この時しかない時期ってあるじゃないですか。青春のいい時期とか、自分の子どもが成長する時期とか。
「かけがえのない時間」があって、長さだけじゃなくてそれを無駄にするというのが、本当に冤罪の怖いところかなと思います。
私のところへ相談に来る冤罪被害者の方々は、口を揃えてこう言います。「日本の刑事司法がこんなことになっていたなんて知らなかった」と。
無実を主張し続けることも、諦めて認めることも、どちらも深い苦しみを伴います。だからこそ制度を変えなければなりません。
裁判とは、検察・弁護・裁判官という3つの目で事実を見るものであるはずです。1つの目だけで有罪を決めようとするから、無理が生まれ、間違いが起きる。
その間違いを素直に認め、次に活かす仕組みを作ることが、検察が本当に信頼される組織になるための道だと、私は思っています。
取り調べの録音・録画の拡大や証拠開示のルール化など、改革はまだ途半ばです。
いずれこれらの議論が再び始まるとき、ぜひ関心を持って声を上げてください。刑事裁判のエンドユーザーは、ほかならぬ私たち市民なのですから。














