戦争に入り路線は縮小… 「決戦ダイヤ」に
しかし、戦争に入り、人も物資も不足すると状況は一変します。民間のバス会社は、国が主導権を取り統合が進められました。

社史の編纂に携わった広島電鉄の藤田睦さんは「とにかく物資を運ぶために貨物輸送が最優先、旅客輸送を極力削っていた。そういった中で合理化と経営規模の縮小を進めていた」と当時の状況を説明します。
戦況が厳しくなる中、1944年6月、広電バスは「決戦ダイヤ」に運行計画を変更。鉄道と重複する区間の大半で運行が休止されました。当時、バスはまだ車掌が乗務する時代。男性従業員の多くが出征するなか、人手不足を補うため車掌は女学生たちが務めました。














