米軍の機雷投下、測候所の日誌には…
この伏木の惨劇を生んだのが「海中の地雷」とも呼ばれる「機雷」です。

アメリカ軍が日本の海上輸送路の壊滅を狙った「飢餓作戦」。B29が日本沿岸に無数の機雷を投下、その数は1万2000個を超えるとされています。戦後も多くの機雷が見つかり爆破処理されています。

伏木・新湊一帯には、1945年5月から7月までに、海上約300個、陸上約100個の機雷が投下されました。
國谷栄輔さん
「港があるから船の出入りを止めようというんで海に機雷を落とすわけですよ。何隻かはやられてるんですよ、だけど風の向きもあるからこんなところに落っこちるわけですね」

伏木気象資料館には、旧伏木測候所時代の日誌が残されていて、天気だけでなく戦争に関する記述も多く見られました。
1945年5月24日の日誌には
『伏木港湾に機雷を投下し、若干の損害ありたる模様』
この日はアメリカ軍が初めて伏木港を空襲した日でした。

鉄工所の爆発も「早朝爆発音大なるあり」と記録されています。(6月5日)
そして、8月1日。
『新潟、長岡方面焼爆。次に波は遂に富山市を炎上さす、翌三時まで続く』















