太平洋戦争末期、富山県高岡市伏木国分の鉄工所で13人が即死した「機雷爆発事故」。戦後81年を迎え、当時小学3年生だった國谷栄輔さん(90)が「自分が最後の語り部」と立ち上がり、これまで口を閉ざしてきた「戦争の記憶」を語り始めました。8月5日まで高岡市で開催中の「富山大空襲展」でも、この機雷被害に光が当てられています。

81年前に撮影された写真。大きく陥没した地面、屋根も壁も吹っ飛び骨組みだけになった建物。アメリカ軍が投下した機雷の分解中に起こった爆発だと記されています。

この爆発が起こったのは、高岡市伏木国分の鉄工所でした。

國谷栄輔さん
「あの窓から見えた。爆発音を聞いて、窓を開けてみたら、何にも見えないけど、とぼとぼ3、4人歩いてきた。ここをタオルで血の流れを止めて、両脇抱えられて」
高岡市伏木本町の國谷栄輔さん90歳。当時小学3年生だった國谷さんは、爆発音で目が覚めて、自宅の窓からけが人の姿を目撃しました。
その後、およそ1キロ程離れた爆発現場も見にいきました。

國谷栄輔さん
「うちのおやじがここに勤めてたんですよ。(母から)お父さんは1時間前ぐらいに帰って来たんだよ、命拾いしたんだよっていうことを聞いてます」
爆発が起こったのは太平洋戦争末期の1945年6月5日の早朝、鉄工所で機雷が爆発して13人が即死。周辺の民家およそ50戸が被害を受けました。
國谷栄輔さん
「親父がいうには、機雷の中の火薬を取り出すために、旋盤にかけてた時に爆発したんだと。(機雷の火薬を)再利用しようとしてるわけ、そういう時代なんですよ」















