太平洋戦争の終結から81年。
7月28日は「青森空襲」があった日です。1018人が犠牲になったとされていて、追悼の式典が開かれ、平和への祈りが捧げられました。
青森空襲を記録する会は青森市役所本庁舎の前で追悼の集いを開いていて、28日は約50人が出席しました。
訪れた人は「空襲・戦災都市青森」の碑に折り鶴を捧げたあと手を合わせました。
青森空襲が起きたのは、81年前の7月28日の夜です。
アメリカ軍B29爆撃機の空襲により多くの建物が炎に包まれ、当時の市街地の約9割が焼失、1018人が犠牲になりました。
青森駅前アウガで行われた平和祈念式典では、当時、叔父2人が亡くなった浪岡遺族会の常田隆是 会長も参列し、犠牲者を追悼しながら今後の活動に思いを新たにしていました。
叔父2人が犠牲 浪岡遺族会 常田隆是 会長
「戦死された方の思いは、我々が今後も次の世代に引き継いでいかないといけないという思いです」
戦後81年が経ち、戦争体験者の高齢化が進み、県内では八戸市の遺族会が昨年度末で解散するなど追悼の場をどのような形で残せるかが大きな課題となっています。
後世への継承、その象徴の1つが青森市柳町通りにある「平和記念像」です。
この像を管理してきた財団は、担当者の高齢化が進んだことなどで解散することになり、維持・管理は市へ引き継がれることになりました。
市川麻耶 キャスター
「毎年、この平和観音像の前で行われる供養大祭に関係者たちが参列しますが、いまは人の姿はなく静まり返っています」
青森市の柳町通りに位置する「平和記念像」。
青森空襲の犠牲者追悼の象徴として2025年まで毎年7月28日に供養大祭が開かれ、多くの人が参列していました。ただ、記念像を管理・運営してきた財団が解散することから、青森市へ記念像を寄贈することになりました。
このため、28日の平和祈念式典で川嶋勝美 理事長から西秀記 市長へ目録が手渡されました。
青森平和記念像管理財団 川嶋勝美 理事長
「財団の管理・運営している人たちも高齢になり、なかなか難しくなったんです。大祭をやっても集まる人が少ないし、そろそろ我々の手から離して、青森市の平和のシンボルとして皆さんで守っていただければなと」
平和記念像は青森空襲の時に知事だった金井元彦が発起人となり、1948年に建立されました。
設置されたのは当時、国道4号の柳町通りの交差点にあったロータリーです。市民には交通の拠点として、また慰霊の場所として親しまれました。
その後、国道の交通量が増えたため1964年に記念像は交差点から北へ40mの場所に移動して人々を見守りました。ただ、像の腐食が進んだうえ柳町通りの再開発などを受け、1993年に撤去されることになり。この時は多くの遺族が駆け付け、涙をうかべる姿も見られました。
その5年後、1998年に像が再建されて現在の形となります。
こうして平和記念像が引き継がれるなかで浮き彫りになったのが、供養大祭への参列者の減少です。
昭和30年代~40年代は4万人~5万人いましたが、平成は1000人台に。令和には100人台にまで落ち込み、財団は像の寄贈という苦渋の決断を余儀なくされました。
青森平和記念像管理財団 川嶋勝美 理事長
「戦争は良くないのだと。平和の大切さを思い起こしていただきたい。そういうシンボルになっていただければと思います」
「記憶の継承」と「恒久平和への祈り」。
平和記念像が担ってきた役割を次世代に引き継いでいくことが今、求められています。
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