「酔っ払ったふりをして車でぶつかっていったら、4年6か月で済むのか」

田中友規さんの父親(北海道小樽市・29日午後)

(きょうの判決の受け止めについて)

田中さんの父親
最近、飲酒運転というものに対する判断の厳しさというのは徐々に増してきている状況を踏まえた時に、それが何年(量刑)になったとしても、亡くなった人は帰ってくるわけではありませんが、残された者としては、これからいろんな意味で危険運転致死という罪をもっと重く裁いていこうという時勢の中で、量刑が軽いということは、自身が法曹に携わっておりませんけれども、前例(となる)大事なところだということは存じ上げている。

これが判断の基準になっていくことは、感情的に、その法律の合理性は分かりませんが、感情的には許し難い状況、気持ちの整理をつけにくい状態にはあります。

(この裁判通して、改めて友規さんのことについて考えたこと、感じたことは?)

田中さんの父親
今は、最終的には検察の方も、法律上ひとつ低いところで扱おうとされていたところを一段上げてくださった(危険運転致死)、努力をいただいたと思います。

ただ、結果的に(大沢被告が)最終的に世の中に出てくるところは何だったのかというと量刑かなと。最終的に4年6か月に確定するかどうか分かりませんが、感覚的に、人がひとり死んでいます。じゃあ酔っ払ったふりをして車でぶつかっていったら、4年6か月で済むのか。

親の感情はそんなところにあって、この事件だって、あの時間に息子があそこの道路走ってなかったら、当たらなかったわけですから。運悪く通りかかって、そこの対向車が殺人鬼で、本人は正常でなくて、正常運転不能状態というような取り扱いされてしまったら、4年6か月。刃物を持っていたらもっと重罪です。人を殺していることに関しては変わりない。

感情的には息子の運の悪さと、そこを通らないでくれたらよかったなと、ますます思うのと、その死んだこと自体の結果として、法律に残ることが、今後のこういった飲酒運転というものに対しての抑止力としての刑罰の重さということの邪魔になることは本当に耐え難い。そんな気持ちです。