その後の、1951(昭和26)年に再び「岩手県立盛岡第二高等学校」となり現在まで続きます。

男子の志願者数が減少した理由

しかし、元々は女子校だったことから、男子生徒の志願者数は初年度の76人をピークに、年々減少していきます。
白梅百年史によると、男子生徒の減少の大きな理由として、
・“女子の学校”の観念が地域社会に根強く存在すること
・施設設備が不完全なまま共学化されたこと
(サッカー、ラグビーなど主に男子生徒が活動する運動設備)
・(男子生徒がいると)風紀が乱れる
という意見があったと記されています。

とうとう男子の募集が「一時停止」に

そのような状況もあり、1958(昭和33)年、県教委は二高に対し、男子生徒の募集停止について諮問。

【そのほかの画像はこちらから】岩手日報1959(昭和34)年1月15日付の3面

内部協議の結果、1959(昭和34)年1月29日には正式に「男子の募集一時停止」が決定されました。