届いたひ孫の映像と「シェルター避難」が日常化する子どもたち
戦争は英捷さんの孫やひ孫たちの世代にも影を落としています。
孫 デニスさん(35)
「ワルシャワ(の空港)は旭川より大きい。国際空港だ」
2年前、ウクライナから戦火を逃れて来日し、旭川で暮らす降旗英捷さん。
去年、ウクライナで3人目のひ孫が生まれました。
孫 デニスさん(35)
「無事について、ごはんも食べた。おじいさんの家に泊まる」
降旗英捷さん(82)
「パパに似てきた」
孫 デニスさん(35)
「跡継ぎ、名字を継ぐ」
孫 デニスさん(35)・降旗英捷さん(82)
「フリハタ」
孫のデニスさん一家が暮らすウクライナ西部のジトーミルでは、今もロシア軍の攻撃があると警報が鳴り響きます。 長いときは10時間に及ぶことも。
孫 デニスさん(35)
「子どもたちが幼稚園からシェルターに避難する影響はあります。子どもたちもそのことを覚えているでしょう。ジトーミルではそれほど頻繁でないにせよ、爆発音を聞き、飛んでくるものを見れば忘れられなくなってしまう」
ウクライナの首都・キーウでは15日夜から16日朝にかけて、ロシア軍による弾道ミサイルなどを使った攻撃があり、少なくとも2人が亡くなりました。
孫 デニスさん(35)
「戦争が終わっても多くの人たちが心の傷を抱えて国に戻ってくる。非常に困難な次の試練が待っている」
サハリンとウクライナ。
英捷さんは2度も戦火に巻き込まれながら生き抜いてきました。
多くの人生を翻弄する戦争は、英捷さんの願いとは裏腹に、孫たちの世代でも繰り返されています。














