空襲逃れても待っていた地獄 体験者を記録「葛藤と焦り」

これは空襲の被害を示した地図。

釧路駅の南西側を中心に、大規模な火災が発生。火の勢いは防空壕にも…。空襲を生き延び、防空壕に逃げ込んだ市民を待ち受けていたのは、熱風と煙。

釧路空襲でによる死者193人のうち、6割が火災による犠牲でした。

釧路空襲を経験 寺部美紀男さん(89)
「今思い出すのは幣舞橋に爆弾落ちた。(橋が)欠けているのは覚えている」
「(友人はご存命ですか?)いやほとんど、もうだいぶ亡くなっているんですよ、そういう時期なのかなと、もう90歳近くなると」

あれから81年。博物館では空襲を伝える展示が設けられています。

釧路市立博物館学芸員 戸田恭司さん
「伝えることが博物館の1つの使命。それも大きな仕事だと思っています」

知る人も、語り継ぐ人も少なくなる…

釧路市の中心部、栄町平和公園。

小棚木幸子さんは毎年7月、ここで犠牲者を悼む集いを開いています。

小棚木さんは空襲の体験者を訪ね歩き、証言を記録する活動を続けています。

小棚木幸子さん
「人を戦時中に(記憶を)よみがえらせるというか戻させるわけでしょう。フラッシュバックがあったら申し訳ない部分がある」

いま、葛藤と焦りを抱えています。

小棚木幸子さん
「体験者がなくなるし、認知症になってわからなくなる。なるべく早く聞き書きをしなきゃならないという焦りの状態です」

空襲を知る人も、語り継ぐ人も少なくなる。どうやって次の世代に語り継いでいくのか。そのあり方が問われています。

“空襲の教え”教育現場アンケート

堀啓知キャスター
今、紹介しました、小棚木さんですけど、戦後生まれなんですが、「歴史を風化させたくない」という思いから15年間も活動を続けているということです。

コメンテーター小橋亜紀さん
本当におっしゃった通り、その「聞いて伝えていく」という大切さの半面、当事者の方たちの思い、フラッシュバックとか、そうだよなって、改めて。それだけ悲惨なことが起こったということ。ただね「空襲ですよ」ということじゃないと。

堀キャスター
なんとか語り継いでいくために、少しでも、当時の証言知っている方が話してほしいなっていうところはあるんですけどね。

小橋さん
本当にでも、年を重ねていくということは、本当その記憶が、すっとね…

堀キャスター
消えていってしまう、なくなってしまうわけですからね。HBCでは北海道空襲で大きな被害があった自治体や、その被害があった地域の教育現場にアンケートをしました。

回答があった13件のうち、10件が授業で北海道空襲について「触れている」と答えました。しかし、頻度についてですが、「1年に1回程度」、そして「教科書で出たら触れる」程度という結果でした。

実際の現場で感じる課題としては、「指導時間がとれない」ですとか、「体験者が減少し教材も不足している」。そして「教員自体も戦争体験の現実味がなくなってきていること」などを挙げました。

81年経ってますからね。戦争の記憶をどうやって継承していくのかっていうのは、これは教育現場だけでは難しいような気もするんですけれども。

コメンテーター 弁護士の大川哲也さん
私、実は小学生の時、釧路で暮らしたんですけども、4年生の時だったと思うんですけれども、まさに釧路空襲のことを先生から習った記憶があって。工場が標的にされたとか、あと幣舞橋に爆弾が落ちたって、もう本当に強烈な印象がありましたね。

堀キャスター
今でもそう覚えてるわけですね。

大川さん
もう本当にここでそういうことがあったのかなってこと、子供心に強く感じとって、今、うーんという感じで見てました。

堀キャスター
だからこそ、次の世代に繋げていく可能性があるわけですけどもね。やっぱりこう語り継いでいくっていうことで、誰かにね、頼るということではなくて、程度の差はあるかもしれませんけれども、私たち一人一人が学んでいく、そして誰かに伝えていく、次の世代に繋げていくということが大事なのかなと、改めてこういう時思いますね。