工場を標的 地獄となった現場

釧路市立博物館学芸員 戸田恭司さん
「当時は国鉄という鉄道工場があった場所になります」

ここには、旧国鉄の工機部、釧路工場がありました。爆弾が投下され、工場は大きな被害を受けました。

寺部美紀男さん、89歳。当時、工場の近くに暮らしていました。小学4年生、夏休み中の出来事でした。

釧路空襲を経験 寺部美紀男さん(89)
「官舎に兄弟と母親といたんですが、その時空襲だと、あわてて防空壕に入った」
父親は戦地のビルマ、現在のミャンマーへ。
寺部さんは母親と兄弟と共に防空壕へ逃げました。

釧路空襲を経験 寺部美紀男さん(89)
「お母さんとか子どもばかりしかいない。爆弾落ちて爆風で扉空きそうになって、みんなで押さえた」

市民の命を奪ったのは、機銃掃射や爆弾だけではありませんでした。
終戦まであと、1か月…。アメリカ軍の空襲で釧路のマチは火に包まれました。














