戦後81年を迎えた北海道空襲。釧路市では米軍の機銃掃射や爆弾、大規模火災により193人の命が奪われました。当時を知る体験者が急速に減少する中、壮絶な記憶を未来へどうつなぐのか。凄惨な空襲の記録と証言、そして記憶の風化を食い止めようと葛藤しながら活動を続ける人々。記憶を伝え続ける人の現状を取材しました。

厚さ10ミリの鉄板を貫く穴…機銃掃射の痕

釧路市のシンボル、幣舞橋。ここも攻撃されました。

釧路空襲に詳しい博物館の学芸員、戸田恭司さんです。

釧路市立博物館学芸員 戸田恭司さん
「ここを一家の方が避難するといって渡っているところを機銃掃射にあって亡くなった」

激しい機銃掃射で柱は倒れ、人々は逃げまどったといいます。

厚さ10ミリを超える鉄板には機銃掃射の跡が…。この鉄板も、幣舞橋の一部でした。

釧路市立博物館学芸員 戸田恭司さん
「橋の下の部分ですね。鉄橋で鉄の部分の横を打ちぬいた」

釧路の上空を飛ぶアメリカ軍の戦闘機につけられていたガンカメラが記録していた映像には、市街地などを標的にした機銃掃射やロケット砲で攻撃する様子が記録されていました。空襲は2日間で8回にのぼりました。