「念願が叶いました」初めての北海道で語り始めた

2026年7月3日金曜日。昼間にもかかわらず、札幌の会場には大勢の聴衆が集まっていました。演台に立った曽我ひとみさん(67)は、紫のジャケットに白いブラウス、胸元には青いリボンのピンをつけ、手元に書いてきた原稿を持っていました。

拉致被害者 曽我ひとみさん(2026年7月3日・札幌市西区)

「本日は、平日にもかかわらずたくさんの方がこの会場に足を運んでいただき、心より感謝を申し上げます」

そう静かに語り始めた曽我さんは、「生まれて初めて北海道に来ました。一度行ってみたいなとずっと思っていたのですが、念願が叶いました」と微笑みました。

穏やかな言葉の裏に、この講演にかける思いの重さがにじんでいました。

「話がとても下手でございまして」と前置きをしながら、「書いてきたものを読ませていただきたいと思います」と述べた曽我さん。

しかし彼女の言葉は一つひとつ、会場に静かに、そして確かに届いていきました。

《全3話中の3話/12

"やっとこの日が来たのかという期待、まただまされるのではないかという思い"

拉致被害者 曽我ひとみさん(2026年7月3日・札幌市西区)

拉致されてから24年、私の思いは、現実のものとなる時が来たのです。

2002年9月17日、日本から総理大臣がやってきました。と言ってもこの時点ではいつものニュースとしか受け取っていませんでした。

それからほどなく組織の幹部らしい人が訪ねてきました。その人は「近いうちに日本の調査団が来る。色々と聞かれると思うから、何を聞かれてもいいように準備しておくように」と言うのです。

私はとてもびっくりしたのと同時に、やっとこの日が来たのかという期待と嬉しさが入り混じった気持ちになりました。

けれども実際に面会の日が訪れるまでは、まただまされるのではないかという思いも頭の中にありました。なぜかと言うと、拉致されてからずっと私は北朝鮮という国にだまされ続けてきたこと、そして日本という国は私1人など助けてはくれないんだろうという失望の中で24年間生きてきたからです。

組織にだまされ続けたというのは、拉致されてすぐの頃は「母親は日本で元気にしている、朝鮮語を勉強して上達したら日本に返してやる」と言われたこと。

朝鮮語ができるようになると「結婚して家庭を持てば、里帰りさせてやる」と言われたこと。

結婚してからは「子供が生まれたら親に会うため返してやる」と次々とだまされ続けたことが原因です。

また日本に失望したというのは、24年間に何度も日本の政治家が北朝鮮を訪問したにもかかわらず、私たち拉致被害者の誰1人として助け出してくれなかったことです。

日本の政治家で誰でもいい、私たち日本人が無理やり連れてこられてここで生きていることを知ってほしい、そして助けてほしいと、ニュース番組で日本の政治家が来たことが伝えられるたび、淡い期待を抱いたものでした。その反面、どうせ今度もダメだろうなと寂しさを感じたのも事実です。

これだけ期待を裏切られ続けてしまうと、誰も信用できなくなってしまうのです。唯一信用できるのは自分の家族だけでした。

だけど、事態は動いたのです。今ここに私がこうしていられるのも、当時の政府関係者、関係機関の皆様の並々ならぬご尽力のおかげと感謝しております。

ただ、まだ帰国できずにいる拉致被害者の方々の気持ちを考えると、現在の膠着状態に苛立ちを覚えています。