「⽇常の中にはあまりにも知華が」母と姉が語る今の心境

Q.現在の心境について

武石知華さんの母親
事故後、事実と異なる報道や実名報道、活動家とみなされ⼼無いコメントがよせられる中で沖縄に滞在していた(3月 ※編集注)16⽇から19⽇までの4⽇間は、学校、東武トップツアーズからの説明と謝罪、海上保安庁の事情徴収、遺体の引き取り、司法解剖結果の報告、葬儀⼿配、納棺準備の合間にキャンプシュワブでの献花などで時間に追われ忙しく、⾷べられず眠れない⽇々の中でもきちんと送り出してあげなければいけないという責務で何とか耐えておりました。

葬儀が終わり出棺での知華とのお別れ、⽕葬、納⾻は親としてこれ以上ない耐え難いつらい時間で、その後3‐4週間ほどは⽣きている意味すら⾒いだせず、周りの家族や親族に⽀えられ時だけが過ぎていく⽇々だったように思います。

当初の報道が尾を引いて、「活動家」「頭の緩い」などといった誹謗中傷に加え、加害者側団体からの憶測に基づく発⾔や政治利⽤など、看過できない報道がやまない現実に、家族で話し合い知華のことを正しく知ってもらうため、またこのような事故を⼆度と起こさないためにとnoteでの発信はじめました。

この3か⽉、知華のいないこの世界で⽣きなければいけない、⽣きていくという意味を問い続け、また娘の死という現実に向き合い、今まで思い描いていた知華の成⻑、卒業式、成⼈式、社会⼈としての活躍、結婚、孫との⽣活、娘との旅⾏、孫に囲まれた⽼後など⼀つ⼀つをあきらめていく、頭にあきらめさせるように努めた⽇々でした。

外に出れば、何気ない⽇常でありふれた幸せそうに歩く家族やカップル、同世代のお⼦さんを⽬にするのがつらくて外出も極⼒避け、ただ時の経過にまかせてやりすごすそんな⽇々でした。

武石知華さんの姉
時間は刻⼀刻と、残酷に過ぎていきました。
知華がいなくなっても、事故から3週間ほどで⼤学は始まり、周りの⽇常は当たり前のように進んでいきました。当初の私は塞ぎ込んでしまい、誰にも連絡を返すことすらままならない状態でした。そんな私を⼼配して、友⼈たちが外に連れ出してくれたり、同じ講義を取って隣にいてくれたりしました。

もちろん家族にも⽀えられながら、なんとか今⽇まで毎⽇を⽣きてこられたと思っています。

でも、⽇常の中にはあまりにも知華がいます。ふとした会話の中にも、コスメやカラコンの話にも、街で⾒かけるものにも、全部どこかで知華を思い出してしまいます。

そのたびに、もう知華がいない現実を突きつけられて、泣いてしまう⽇々です。
事故からまもなく3か⽉が経ちますが、今も前を向けているとは⾔えません。

ただ、知華に起きたことを曖昧にされたくない、知華の尊厳を守りたいという思いだけで、なんとか⽴っています。姉として、知華のためにできることを諦めたくないと思っています。

Q.知華さんについて

知華さんの母親
やさしくて、思いやりがあり、⾯⽩いこと、⼈と話すことが⼤好きな⼦でした。いつも⾯⽩いことばかり考えていて、周りを笑わせて⼀緒によく笑う⼦でした。⾃分が望む⽬標に向かっては努⼒を惜しまず、よく調べて⾃分なりの⽅法で結果を掴んでいました。

趣味は旅⾏、写真撮影、美術館巡り。⾼校⽣になってからはお菓⼦作りにも熱⼼で、誕⽣⽇やクリスマスにはホールケーキ、マカロンなどお店顔負けの出来で作ってくれていました。天体にも興味があり、夜空をよく⾒ていました。満⽉の夜には、「今⽇は満⽉だね、きれいだね」と⾔っていたことを思い出します。

知華さんの姉
知華とは4歳差の姉妹でした。
幼い頃は、両親の取り合いをしたり、些細なことで⾔い合いになったり、喧嘩も多い姉妹だったと思います。

でも、私が⼤学進学で上京してからは、少し距離ができたことで喧嘩も減って、むしろこの4年間は特に仲が良かったと思います。

何かあるたびに、「ねぇね、どっちがいいと思う?」「このカラコン使ったことある?」「髪⾊何にしよう?」と、よく連絡をくれました。コスメや服、髪⾊のことなど、何気ない相談をしてくれる時間が、私にとってはとても⼤切でした。

知華は、努⼒家で、何事にも熱⼼で、賢い⼦でした。そして何より、本当に優しい⼦でした。

⾃分のことだけでなく、周りの⼈の気持ちをよく考えられる⼦で、⼈との違いを否定するのではなく、⾃然に受け⽌められる⼦だったと思います。
家族から⾒ても、知華はいつも明るくて、アホで、家の中をぱっと照らしてくれる存在でした。

だから今も、⽇常の中のふとした瞬間に、知華なら何て⾔うかな、知華にこれ⾒せたかったな、と思ってしまいます。

私にとって知華は、ただの妹というだけではなく、いつの間にか何でも話せる、絶対的な味⽅になっていました。