「父は日本への怒りを抱えたまま亡くなった」

アンドレ・スクラムさん(77)の父・ヨハンさんは、インドネシアから連行され、長崎市内の強制収容所に入れられました。

父が日本で捕虜にされた アンドレ・スクラムさん
「父を最も苦しませたのは、自分がまるで存在しないかのように扱われたことでした。何の権利もなく、完全に無視された」

収容所では飢餓と暴力が蔓延していました。そしてヨハンさんは、原爆投下を目の当たりにしたといいます。
終戦後、オランダに帰国しますが、日本についてはほとんど語りませんでした。ただ一度だけ、がんで亡くなる間際に思いを露わにしたといいます。

アンドレ・スクラムさん
「(死の数日前)父は泣き出しました。そして医師にこう言ったのです。『ジャップども』『“ジャップ”どもの前でもひざまずきはしない。俺は立ち上がって死ぬんだ』と。彼は強い人でしたが、あの瞬間だけは悲しげでした」
ヨハンさんは、日本への怒りを抱えたまま、1993年に亡くなりました。
アンドレさんはその後、父・ヨハンさんの生涯を徹底的に調べました。それは父の苦しみと対峙することにつながり、“日本への不信感”が募っていきました。














