「けがをする前より、強くなろうという気持ちで」

「悔いの残らないように」と臨んだ決定戦は最高の相撲だった。低く当たって得意の左おっつけ。痛めていた右も浅くのぞかせ一気に出る。「下から攻める」という本人の信念を貫いたような取り口だ。最後はその右手を抜いて、霧島の胸を突いての押し出し。本割では両差しを許して完敗した相手に見事に雪辱した。

25場所ぶりの賜杯を噛みしめるように、支度部屋でのコメントは多くなかった。「集中して、自分の相撲を取りきれたかな、と思う。一番、一番、懸命に取った積み重ねが優勝につながった。けがをする前より、強くなろうという気持ちでやってきた」
 
ようやく少し口が滑らかになったのは、表彰式の合間に行われる土俵下でのインタビューで家族の話になった時だ。「きょうも朝、子どもたちに『優勝してね』って言われたので、優勝した姿を見せられてよかった」。その後の後援者を入れた支度部屋での万歳三唱では、小学1年の長男をひざに乗せて、満面の笑みを浮かべた。

7場所連続関脇を務めていた23年春場所。13日目の琴ノ若(現大関琴桜)戦で右ひざを痛めて休場した。前十字じん帯と外側半月板の損傷。手術をして翌場所からの3場所連続全休を含めて、4場所ぶりに復帰した時は番付が東幕下6枚目まで落ちていたそこから2場所で十両復帰、そしてまた2場所で幕内に返り咲いた。

この間、リハビリもしながらコツコツと地力を戻した。支度部屋でのじっくりと時間をかけて体を伸ばすことと、花道に向かう前は当たってからの動きを確認する仕草は変わらな
い。秘めた熱い思いをたぎらせているようだった。

一夜明け会見で大関への再挑戦を問われた時に、胸の内を明かした。「けがをする前に一緒に戦ってきた関取たちが、横綱、大関に昇進しているのを見てきたので、自分も負けたくない。大関という目標に向かって、これからが大事」と話した。

当時の23年春場所の番付を見ると、それがよく分かる。横綱が照ノ富士(現・伊勢ケ浜親方)1人で、大関も貴景勝(同・湊川親方)1人。関脇に並んでいたのが現在横綱の豊昇龍(27)と、まだ最初の昇進を果たしておらず改名前の霧馬山だった大関霧島。同じく改名前の大関琴桜は小結だった。横綱大の里のデビューは翌夏場所。安青錦も、この年の秋場所でようやく初土俵を踏む。

土俵では寡黙なイメージがあるが、本来は茶目っ気もあるのがまた魅力だ。笑いながら話したのは、優勝力士が行う「タイ持ち」の練習を実は場所中に行っていたというエピソード。

「5日目くらいだったかな。妻がスーパーでタイを丸々1匹買ってきて、それを持って『予行演習』と言って、写真を撮らされました。たまたま大きなタイが売っていて、買わないわけにはいかなかったらしく……」。妻と子どもの家族一体で支える様がほのぼのと伝わってくる。

大きな目標へ再び動き出した若隆景の優勝を心から喜び、それを活力に7月の名古屋場所(IGアリーナ)を待っていると思われる力士もいる。カド番の夏場所前の稽古で左足首を痛めて全休、大関から関脇に転落する安青錦だ。体も同じようにそう大きくなく、下から攻めるというスタイルも似ている。元々、若隆景を「目標」として腕を磨いてきただけに、10勝すれば特例で大関復帰が叶う名古屋で、ともに3度目を目指す優勝争いを楽しみにしているはずだ。

大関昇進の目安は「三役で3場所33勝」と言われており、その起点は作った。そんな末弟の復調を見届けたように、幕内若元春(32)とともに「大波3兄弟」として知られた長男の幕下若隆元(34)の引退が、夏場所後に発表された。目指してきた「3兄弟同時関取」はかなわなかったが、弟2人が角界入りする道筋を作ったのは間違いなく兄の存在。16年余りの土俵人生に幕を引き、今後は採用された若者頭として若手の指導等を担うつもりでいる。

角界は今、戦国時代。圧倒的な強者がいない分、誰にも優勝の可能性がある。若隆景に決定戦で敗れた霧島も、来場所で高いレベルの優勝があれば、綱とりが実現する可能性がある。暑い名古屋で、次はどんな展開が待つのか。今からワクワクする。

(竹園隆浩/スポーツライター)