「叔父の弔い」と「復讐」の火

自宅の火鉢に灯されたのは、叔父を弔う火。
しかしその火には、”もう一つの顔”がありました。

山本拓道さん
「この火でアメリカを焼き払ってやるとか、俺だけでも恨みは絶対忘れんぞという決意が揺らがんために、火を灯し続けた」

焼け野原で叔父を探し回る中、目にしたのは、息絶えゆく人々の姿。
あまりの苦しさに「ひと思いに楽にしてほしい」と懇願されたのも、一度や二度ではなかったといいます。

「弔いの火」は、そんな無念を背負った、アメリカへの「復讐の火」でもありました。

相反する思いを抱え続けていましたが、終戦から23年が経った1968年、自宅で灯し続けていた火は、「平和の火」として村に託され、「平和の塔」へ移されました。


達雄さんいわく、「報復では、平和は来ない」と気づいたそうです。

1967年

山本達雄さん
「私が世界平和を願う、気持ちの目印みたいな火として、保持しているわけでございます」

それでも、胸の奥の怒りが完全に消えることは無かったのではないかと、拓道さんは話します。

山本拓道さん
「恨みは消えないけども、水に流す努力をしないと報復の連鎖がずっと続く。その努力は死ぬまで続くと言って、父は亡くなりました」

2004年に亡くなった達雄さんが最後に書き残した言葉です。

『この地球上に住む動物で同族で殺し合うのは、ただ、人間だけである。何と、おろかなことであろうか』