ヒラメの刺身をペロリと
<山形新聞 1953年12月17日>
とめさんは十五日東京護国寺での慰霊祭に出席し、氏の処刑に立会った田嶋隆純教誨師に死に向かう姿を次のようにきいた。
”その夜一緒に処刑された七人が円座になり最後の宴をはった。ブドウ酒をのみめいめい食べたい物を注文したが、幕田氏は「フグのサシミ」をのぞんでみなを笑わせた。かわりに「ヒラメ」が出されると「仕方がない」とボヤキながら田嶋師の分までペロリと平らげ、ブンガワンソロ、アロハオエなどを歌って一番元気だった”
田嶋教誨師はこの年7月、自著「わがいのち果てる日に」を講談社から出版した。教誨師としてスガモプリズンでの体験を記録しているほか、自分が見送った死刑囚たちの遺書もこの書に納めた。田嶋教誨師は死刑執行前には何度も死刑囚の部屋を訪ねているが、その際、法衣の袖に隠して米兵の監視の目から逃れ、遺書を持ち出した。遺髪などと共に遺族へ渡している。幕田の生家、山形の家には鉛筆で書かれた幕田の遺書の原本が保管されていた。
















