その青年は紺のスーツ姿で椅子に浅く座り、背筋をピンと伸ばし、両手はひざの手前で固く握られていた。
「いつもだったらテレビを見てゆっくり過ごすのですが、今年は少し疲れもたまっていたのか…もう、寝ちゃって(笑)」
そう言ってクシャッと崩した表情…。この人懐っこい感じがファンの心を鷲掴みにしている理由なのかもしれない。
島田高志郎
愛媛県松山市出身の21歳。今、最も勢いに乗っているフィギュアスケート選手だ。
2022年12月、大阪府門真市で行われた第91回全日本フィギュアスケート選手権大会で、島田高志郎選手は初日のショートプログラムで2位につけると、最終日のフリーでは、4回転トウループやトリプルアクセルからの連続ジャンプに3回転ループなど、前半の勢いを最後までキープし高得点をマーク。
結局、全日本では自身初の表彰台となる2位に輝き、優勝した宇野昌磨の横で弾ける笑顔を見せた。
あの日から11日が過ぎた1月5日、島田選手は故郷・愛媛の県庁を訪れ、中村知事に喜びの報告をし、その後報道陣に囲まれた。
「全日本選手権ではしっかり自分に集中して、周りのことを一切気にかけない状態で自分の演技だけに集中することができました」
その理由について島田はこう自ら分析している。
「今シーズンはトレーナーやコーチ達の支えもあり、2~3シーズン前から続いていたケガとさらに真剣に向き合ってきた結果、心技体ともにだんだんひとつに繋がっていく感覚を毎試合得られていた。ですから日々の練習での気持ちの持ち方というのが今回の全日本の結果につながったかなと思っています」
2001年生まれの島田選手は、地元のイヨテツスポーツセンターのリンクで滑り込み、初の国際大会となった2013年のアジアフィギュア杯のノービスクラスで優勝。
その後、2016年のリレハンメルユース五輪では6位入賞、推薦出場した全日本選手権では7位に入るなど、その歩みは順風満帆かに思われた。
しかし木下グループ所属になり練習拠点をスイスに移した2017年、左内転筋を断裂。
以降は治療とリハビリに専念し、シーズン中には戦列に復帰したが、その後は脚の状態には細心の注意を払いながらの日々が続き、そこに2020年からの新型コロナが重なり、実戦感覚はもちろんモチベーションの維持も非常に難しかったと振り返る。
それでも島田選手は今、全ての出来事を前向きに捉えている。
「その点、今シーズンは何試合も出させていただいて、本当に全ての試合での経験が、例え失敗があったとしてもそれが前向きに捉えられる失敗だったので、それがいい形で今回の結果に繋がっているなと感じています」
そんな島田選手は今、木下グループに所属しスイスを拠点にトレーニングを積んでいる。
「1年間で3日か4日…。もしかするとこの正月が一番休みが取れている時期ですね」
そう笑顔で語る島田選手。
「スイスでは毎日、山にこもって修行している感じですね。練習時間は1日5時間から6時間、ご飯も自分で作ってるので大変ですね。でも練習場までは歩いて5分ですし、練習場以外に出かける時間もとれないので毎日練習漬けですね」
ケガを乗り越え、コロナ禍と向き合い、ようやく掴んだ今回の栄光。島田選手は銀色に輝くメダルを手にこうつぶやいた。
「シニアではメダルが無かったので、今回手にしたときには感慨深いものがありました」
最後に、愛媛県庁にかけつけた地元愛媛の報道陣から今年の目標を問われた島田選手は、一拍間を開けた上でこう口にした。
「2023年は、まずはスケートを楽しむことが目標です。さらにスケートがもっと広まってくれればいいなと思っています」
2026年の冬のオリンピックはイタリア。少し気が早いかもしれないが、島田選手はしっかりと前を見据えて答えてくれた。
「正直なところを言ってしまうと、毎日毎日生きるのに、毎日毎日を充実した生活にするので精一杯であまり3年後、4年後のことは考えてはいません。ただ、しっかりそこを最終目標として練習していることには間違いないので、まずは目の前に控えている試合を大事にして3年後に繋がる自分でありたいなと思っています」