外国人居住者の増加に伴い、テレビ局が彼らに情報を伝える「やさしい日本語」の重要性がたかまりつつある。しかし、単に平易な言葉に言い換えるだけでは十分でない。その背景の文脈を考え、完成した原稿を「翻訳」するのではなく、完成する前の段階から多様な視聴者を想定すべきではないか。明治大学国際日本学部の山脇 啓造教授による論考。
はじめに
近年、日本に暮らす外国人住民の増加とともに、やさしい日本語への関心が高まっている。やさしい日本語とは、外国人住民など日本語に不慣れな人にも伝わるよう配慮した日本語表現を指す。とりわけ災害報道の現場では、短く分かりやすい表現で行動を促す工夫が積み重ねられてきた。
しかし一方で、平時の報道に目を向けると、その知見が十分に活かされているとは言いがたい。制度や生活に関わる情報は発信されていても、それが誰に届き、どのような行動につながっているのかは、必ずしも検証されていない。
本稿では、やさしい日本語を難しい言葉の言い換えという「翻訳」の問題にとどめず、誰に何をどのように伝えるかという「編集」の問題として捉え直す。そのうえで、テレビ報道の現状と課題を整理し、今後の方向性を考えたい。
やさしい日本語に関する誤解~「言い換え」ではない~
やさしい日本語は、しばしば「難しい日本語を簡単に言い換えること」と理解される。しかし、この理解だけでは、現場で直面する課題に十分に応えることはできない。たとえば、同じ情報であっても、対象とする相手によって必要な説明や前提は大きく異なる。
日本の制度や生活習慣に慣れていない外国人住民にとっては、言葉そのものの難しさ以上に、背景となる文脈が共有されていないことが理解の障壁となる。
この意味で、やさしい日本語とは、単なる表現の簡略化ではなく、誰に向けて情報を届けるのかを明確にしたうえで、内容や構成を調整する営みである。対象を想定しないまま「やさしくする」ことには限界がある。














