石畳の街並みが続く、「ヨーロッパの真珠」「小さなパリ」とも言われる古都リビウで生まれ、育ったホルナ氏は13歳で空手を始めた。きっかけは「友達を作りたかったから」だという。天性の素質もあったのだろう。競技にのめり込むと、スピードと状況判断の良さでぐんぐんと頭角を現し、欧州選手権、ワールドゲームス等で優勝。世界選手権3位。そして、空手界全体の悲願でもあったオリンピックでメダリストになった。
だが、22年にロシアが全面侵攻を始めて、状況は一変した。友人らが最前線で死亡し、自らも軍隊に入った。まだ、戦地に赴いたことはないが、避難の援助等をしているという。オークションが始まると、迷わずメダルを出品した。
「残念ながら戦争が始まって優先順位が変わってしまった。僕は周りの人を助ける活動をしてきて、このメダルがその人たちをサポートするものになれば、オリンピックで勝ち取った以上の価値がある、思った」
努力と情熱を注ぎこんだメダルだったが、二度と手元には戻らないと思っていた。後悔はなかった。日本人が落札したと聞き、「安全な国に行くんだなと感じた」という。それがオークションから1、2週間経って主催者を通じて思いがけない連絡をもらった。東京に住む落札者から「戦争が終わり、平和になったら、貴方を日本に招いてメダルを返したい」とのことだった。あれから4年。戦禍はまだ続いているが、その朗報が届いた。
落札者はこの日も名乗り出ず、次のようなコメントを発表した。
「想像以上に情勢が長期化し、本来の持ち主のもとを離れたメダルを保管し続けてよいのか、疑問を感じていた。このメダルは、多くの人に触られながら空手への思いや感謝を伝えてきた象徴的な存在。より多くの人々にホルナ氏の思いを伝える役割を果たすべきだと、早期返還を決断した」
匿名希望の落札者に代わり、道場の加藤巧代表(48)が事情を説明した。「我々は最初からホルナさんを知っていたが、空手関係者ではない落札者の方は、オリンピックを見たのだと思う。彼がメダルをオークションに出すことをたまたまテレビで知って、始めから返還するつもりで落札したと聞いている。資金を援助するという意味では寄付もあったかもしれない。だが、それは彼の意志に反する。その意志を尊重する意味でこういう形になったようです」
返還式後は、ホルナ氏と子どもたちの臨時空手教室というべき交流会が開かれた。参加したのは付き合いのある千葉の道場の子どもらを含め、小、中学生約30人。「蜘蛛」のようにお腹を上に向けて四つん這いになる鬼にホルナ氏がなって追いかける鬼ごっこや、マットの上に黒帯で輪を作り、その中に片足を入れたまま、相手と対峙する組手等、全てゲーム感覚で約3時間。憧れのオリンピックメダリストと戯れる子どもたちは笑顔にあふれて、大きな歓声を挙げ続けた。そして、ホルナ氏自身も心底、楽しんでいるように見えた。
現役引退は24年だった。今は指導者と州議会議員も兼ねている。最後の質問コーナーで「形はやったことがないから、一つも知らない。僕はまだ半分しか空手を知らない」と告白し、子どもたちを笑わせたホルナ氏。戦争が終わった後のことを聞かれると、「その時をずっと待っているが、どういう生活になるか、分からない。1か月先も、その先も」と答えた。そして、「将来は大統領になりたい、と思っている」とも告げた。
報道陣とのインタビューで将来は大統領に、との発言の真意を聞かれたホルナ氏は、「一つは子どもたちには夢は大きく持て、という意味で伝えたかった。もう一つは僕には戦争で荒廃した母国を豊かな国に変える情熱がある。日本は綺麗で環境に恵まれた国だが、ウクライナも森も山もあり、穀物も育つ。素晴らしい国」と答えた。
メダルをかける大役を果たした大塚寧々さん(12、中学1年)は「きょうは本当に楽しかった。ウクライナの人と接するのは初めて。戦争は大変。幸せというのは当たり前ではないと思った」と参加者の思いを代弁した。加藤代表も「ホルナさんもそうだが、子どもたちもきょうのことを一生忘れないでしょう。世界で争いが続いていることも知り、代えがたい経験が出来た。本当に素晴らしい一日になった」と喜んだ。
ホルナ氏が21年に母国の誇りを胸に手にしたオリンピックメダルは5年の年月を経てこの日、同じ東京の地で再び彼の胸で光り輝いた。
(竹園隆浩/スポーツライター)














