日本とイラン、過去に深いつながり

1951年、当時のイラン産原油は、イギリスの会社が独占。これにイラン政府が反発し、石油会社を国有化します。

イギリスは対抗措置として、ペルシャ湾に軍艦を派遣し海上封鎖。イラン経済は危機に瀕します。

このとき日本のタンカー「日章丸」は、イギリス海軍の目をかいくぐり、イランから原油を輸送。

当時イランの新聞は「世界が見捨てた時、日本だけが助けに来てくれた」と、親日の気運が盛り上がったのです。

また、80年代のイラン・イラク戦争の際には、当時の安倍晋太郎外務大臣が停戦を仲介をしようとするなど、独自外交を展開。

さらに2018年、トランプ政権がイランとの核合意から一方的に離脱し、経済制裁を再開した際には、当時の安倍晋三総理が、アメリカとの関係修復に向けてイランを訪問。

今回殺害された最高指導者ハメネイ師や、ロウハニ大統領と会談を行ったのです。

安倍晋三 総理(当時)
「現在の地域の緊張の高まりを、友人として深刻に懸念している」

当時イラン大使としてその場に立ち会った齊藤貢さんは、会談が実現した背景について…

関西学院大学客員教授 齊藤貢 元イラン大使
「イランにとって西側先進国で日本が唯一関係が良い国。
彼(ハメネイ師)は 『トランプ大統領は信用しない。でも安倍総理は信用する』という言い方で、 要するに『日本が頑張ってくれるならいいでしょう』『イランとしては受けます』ということで、イラン側にも日本に対する期待感はあったと思う。イランの歴史は外部からいじめられる歴史だった」