「体育館に息子が帰ってきた」

<齋藤幸男さん>
「ここは遺体の仮安置所になった体育館です。最大約700人の方のご遺体がここに安置されていました」
防災士の齋藤幸男さん(71)。震災当時、避難所でもあり遺体安置所でもあった石巻西高校の教頭先生でした。
<齋藤幸男さん>
「校舎から通路を隔てて体育館、反対側は食堂。まさに、生きている人と亡くなった方の世界の境界がある中を生きる」
あの日、石巻西高校のある東松島市は10メートルを超える津波に襲われ1100人以上が亡くなりました。
指定された避難所ではないものの、地域に開放することを決めた齋藤さん。一方で、警察からは「遺体安置所として使わせてほしい」と依頼があり、自衛隊などによって遺体が体育館に次々と運び込まれたのです。
<齋藤幸男さん>
「当時2年生だった生徒がいて、母親が学校の事務室に『息子が体育館に帰ってきました』と言われて、言っている言葉の意味が分かった途端に言葉にならなかったですよね」
石巻西高校では在校生9人、4月から入学が決まっていた新入生2人の計11人が亡くなりました。
700人の遺体が並ぶ体育館で“人”を表すのは名前ではなく数字。安置番号205番は自分の叔父でした。














