「体験した後悔は、防災意識の材料」

震災の記憶を伝え続けている、語り部の一人。佐藤敏郎さんです。
大川小学校に通っていた次女を亡くしました。

佐藤敏郎さん:
「うちの娘はひらがなで『みずほ』と言います。あのとき6年生でした。
3月11日、あの日は中学校の制服が出来上がった日ですよ。残念ながら、うちの娘は中学校の制服を受け取れなかったし、着られませんでした」

佐藤敏郎さん:
「お父さん、みずほの遺体があがったの。娘の名前のそのあとに『遺体』『あがる』想像していなかった、全然。
正確にいうと、児童70人は死亡、4人は行方不明です。探しています。親が探している。15年経っても我が子を探している親がいます。これは現実です」

佐藤敏郎さん:
「あの白い線が津波到達地点。あの辺りまで津波が来ているということは、あの辺まで行ったら助かったということです。校庭から1分です。しかも子どもたちが毎年登っているところなんです。救ってほしかった命、救いたかった命。それは1分で簡単に救えた命なんです。結果として事実として救えなかった命になったんです。これはちゃんと考えないとだめですよ。私たちも皆さんも防災とか備えとか訓練をしていますよね。それを行動にどう変えられるか。絶対に無駄にしたくない」

なぜ、51分間も校庭にとどまってしまったのか。
なぜ、避難場所を決めておかなかったのか。
なぜ…『自分なら、どうしただろう?』

佐藤敏郎さん:
「ここで私たちが体験してしまった悲しみ、恐怖、後悔は、防災意識の材料ですよ。それをきっかけにして、みんなが助かる未来に向かえばいいと思っています。そしたら防災は希望になると思います」