海成さんも、当時この学校新聞を手がけた新旧の児童会執行部のメンバー4人のうちの一人です。
メンバー4人全員が自宅を流され、避難所となった大沢小学校や親戚の家で生活を続けていたにもかかわらず、なりわいや暮らしに深い傷を負いながらも立ち上がろうとする人々の姿を記事にしていきました。
現在は漁師を目指している海成さんも「傷ついた大沢は必ず復興する」という願いを込めた1面のトップ記事を書き上げます。

(当時の海成さん)
「私たちにもできることが必ずあります。大沢の人たちが元気を出せるように、まず私たちが元気よく明るく生活しましょう。そしてみんな仲良く助け合いくらしましょう。きっと元の明るい町に戻れます」
「なんか、やっとでできた満足感があります」














