息子との電話…あの日、逃げることを強く伝えていたなら
田村弘美さん: 15年前......。15年前のこと。3月9日にも宮城県に、地震が起きたんですよ。当時は、近い将来に大きな地震が起きるよ、と言われていた時期だったんですね。そこからすぐに「大丈夫?」って心配するメールが届いたんです。そのとき、海には津波注意報が出て、女川湾には、50cmの津波がきたことを夕方のニュースで知ったんです。息子と電話で話をしていたんですけども、息子は「会社は特別変わりはなかったよ」って話をしていたんです。

もしあの時、私が「今度大きな地震が来たらどこに逃げるの?必ず逃げてよ」って私から強く伝えていたなら、あの日の行動は違っていたのではないだろうか、と。悔やまれてなりません。
3月11日午後2時46分。私は、ここ地元の松山の介護施設で働いていました。信じられないほどの大きな揺れに、お年寄りの方々を守るだけでも精一杯でした。電気も水も止まって、外ではサイレンが鳴り響いていたんです。息子に何度もメールをしたけど返事もなくて、携帯も繋がらなくなりました。雪が降ってきて、とても寒
かったのを覚えています。ラジオからは10mの津波、とても、信じられないニュースが流れて、私は「女川はどうなってるんだろう。健太たちはどこに逃げたんだろう」って、眠れない夜を過ごしたんです。
これは、震災翌日の女川の風景です。町中が重油や魚の生臭い匂いに包まれていました。町が丸ごと剥ぎ取られたような光景に、言葉がありませんでした。家を流されて、家族を失って、当たり前の日常を突然奪われた人たちが、途方に暮れていたんです。まるで戦場のようでした。恐ろしい景色でした。
震災から半年で、息子は銀行から3㎞ほど離れた海の上で見つかりました。元気な姿で再会することは叶いませんでした。息子は小さい頃から「頑張れば夢は叶えられる」信じて努力を重ねる子でした。これから、もっとやりたいことがたくさんあったはずなのに、この人生は突然断ち切られてしまったんです。どれほど怖かっただろう、どれほど悔しかっただろう、と思うと胸が締め付けられます。














