「庭元」の家 獅子舞の涙
地元では「上津島」と呼ばれる、大字津島の高台に今野正悦の家はあった。
私が初めて訪れたのは2020年4月のことで、月の半ばを過ぎていたが、山あいの集落にはようやく春が訪れたところだった。庭の日陰には雪が残っている。
今野家は代々「庭元」と呼ばれる家系である。
古くは神社の「鍵持ち」の家とされ、地域の伝統芸能の世話役である。津島独特の風習であるらしく、津島には4つの地区にそれぞれ庭元がいる。庭元は、伝統芸能に使う衣装や道具を保管し、時期が近づけば練習場所として自宅を開放し、祭りの当日は神社への出発地となり、家々を回ったあとに帰ってくる場所でもある。もちろん、その後は打ち上げの場所となる。公民館や集会所がなかった時代、由緒ある家がその役割を担った。
家屋は築300年である。20畳はあろうかという部屋が3つ続き、多くの人が集い、舞うことが可能な間取りになっている。柱や梁は、どっしりとした一本の木で、床や天井には傷みがある場所もあるが、古いものだけが放つ存在感は失われていない。
ふすまに貼ってあるカレンダーは2011年3月のままであった。
目の前には茶箱に載った3つの黒い獅子舞の面がこちらを向いている。その後ろで、今野が笛を吹き、二人が太鼓を打った。上津島に伝わる三匹獅子舞の祭りばやしである。原発事故のあと、三匹獅子舞は一度も舞われていない。担い手は各地に避難して散り、練習一つとっても困難な状況で、連綿と紡がれてきた伝統は失われようとしていた。
そういう中にあって、住民有志で作る「ふるさと津島を映像に残す会」が、せめておはやしだけでも映像で後世に残そうと、撮影はフォトジャーナリストの野田雅也が担当した。この日はその収録日であった。
ところが、演奏は出だしからつまずいた。進んでは止め、止めては進むを繰り返している。演奏が止まるごとに今野たちが見つめていたのは、スマートフォンの小さな画面に映る2010年の三匹獅子舞のようすである。9年も前だが、これが「直近」の映像である。
かつての自分たちの姿から記憶の糸を手繰り寄せていた。否が応でも時間の経過を実感せずにはいられない。しばらく試行錯誤しながらの演奏が続いた。
20分ほど続いたところで、太鼓を叩いていた男性が「ドン」とひとつ打ち、苦笑しながらつぶやいた。
「無理だな」
納得のいく演奏はできないまま、撮影は終わった。映像に残されたのは、かつての姿とはだいぶ違う演奏だったかもしれない。
次の撮影も控えていた。入退時間や行動が細かく管理されている帰還困難区域で、これ以上粘るわけにもいかない。楽譜やマニュアルがあるわけでもない。その場の雰囲気や舞のリズムに合わせて、緩急や強弱をつける囃子である。個々に熟練した技術があっても、うまくいく保証はどこにもない。それを思い知ったところで、一区切りとなった。
演奏を終えた3人は、再現に及ばなかったかつての姿を話した。
――歌詞はどういう意味だったんですか。
「京の都の獅子と、田舎の獅子がいて、田舎の獅子に便りが来たので、帰りますと。座敷の前にざっと並んで、肩を並べて、ありがとうございましたという感じ」
「いろんな種類があるんだよな」
「獅子舞は一日15件くらい回るんだよ。だから、庭元に戻ってくるときには真っ暗よ。10月の午後5時すぎだから。みんなへとへとになって、ここで終わって、五十人くらい並んで。だーっと。で、宴会に入って、足洗いやって。庭元は大変だよ。こういう座敷がないとやっぱり務まらない」
「最後は、かぶり物をとって、踊るの。だから笠抜きって言ってね。それで終わり」
――津島の人にとって三匹獅子はどういう意味があるんですか。
「五穀豊穣と部落の安全を願って。昔は自然との戦いだから、作物がとれないと生きていけなかったしさ。何をやってもよりどころだよね、ここの庭元さんというのは。昔の村長さんみたいなもので、ここの『おさ』なんだよね。その名残はいまもあって、我々の時代でも庭元って言ったらここなんだよ。みんなここで相談したり、庭元のご意見伺ったり」
「一大イベントだよな。秋の祭りっていうのは」
「昔は神社のお祭りは学校休みだったの」
「学校休んでもいいし、早退きしてもいいし。夜は知らないうちに、先生が家に上がり込んで、飲んでたりもして……(わらう)」
「私は花火師だったから、朝の6時にはいろんなところで花火を上げて。それでさあ、始めるかって」
「朝7時にはみんなぞろぞろ来て、子どもたちは支度して。獅子舞はまだ、男だけでも準備できるんだけど、田植え踊りは難しい。女の人も来て、いまの人はできないから、先生が来てやってもらう」
「やっぱり一回途絶えちゃうと……。9年前に強制的に避難させられたわけだから。それでも保存会という、組織的なものもなくなってはいないんだけど。ただ、みんなバラバラになったからね。獅子舞を踊るのは部落の子どもなんだよ。その子どもたちも中学生、高校生になったからね。難しくなってきているよね。伝統文化だからなくすわけにはいかないんだけど、若い人たちがいないとどうしてもやっていけない。いくら除染して解除しても、いまの若い人は来ないから……。困りましたね」
「避難する前、上津島の小学生は10人いなかったんだよな。それだけでは足りないから、他の地区からとか、女の子を入れるかとか、いろいろ考えたね。でも、やっぱりこの地区の子どもはやりたいんだよ。子どもはやりたがったの。太郎獅子、次郎獅子、雌獅子っているんだけど、最初は雌獅子やらせるんだけど、最後は雄獅子やりたいんだよね」
「卒業試験は神社で踊れるかどうかなんだよね。だいたい1か月、毎日2時間ぐらい練習するんですよ。駄々こねたり、居眠りこいたりしてね」
「でも、言うことは聞いているな。この時期、子どもたちは家にいてもそわそわしているらしい」
「練習を続けていると、中には自覚してくる子どもがいる。自分は下手だから踊れないって。反対に神社を経験した子どもは、その翌日からはものすごい自信がついている。がーっと一気に大人になっちゃうわけ。そうすると、来年が楽しみになってくる。その辺で遊んでても、獅子舞の踊りなんかをするようになる。体で覚えているわけ。教える立場の私だって、人の子を預かっているわけだから、怒るときは真剣になって怒りますよ。叩いたりはしないけども。暴力は振るわないけど、明日からは来るなって」
――1年途絶えただけでも大変そうに見えます。
「大変だね」
「だから、俺いま笛吹いたけど、間違ってばっかりなわけ」
「2010年10月が最後。それ以降やっていない」
「本当に10年ぶりだな。みんなが集まらないとやっぱり一つのものができないのよ」
「ちょうど今年の10月に獅子舞やるとなれば、2011年に生まれた子どもで、9歳とか10歳とか。ちょうどいいあんばいよ。楽しみだけど、そのつながりがなくなってしまった。どこにどういう子どもいるのかわからない。ここにいたら、どこで子ども生まれた、誰々の子どもだってわかるじゃない。子どもの顔を見て、ああ、あそこの息子だなって。そういう環境があった」
「我々が若いときに習った先生って、50歳くらい。いまの人もそうだと思うけど、20歳くらいの人が50歳の人と飲んだり、食ったり、話をしたりってしないでしょ。ところが、この芸能を通じて、それがあるんだ。50の人と20の人が一緒に反省会するから。だから、全部この地区の人のことは知っているんだ。あの子はどこの人だとか、あの人は誰の旦那さんだとか。そういうつながりってのはあったな……」
そう言って今野はしばし目をつぶり、黙った。傍らの二人も、私も沈黙した。ウグイスが山の方で鳴いていて、遠くでは除染の草刈り機の音が響いている。(つづく)














