東京電力福島第一原発事故で帰還困難区域となった福島県浪江町の山間にある津島地区。事故前は約450世帯、約1400人が、豊かな自然の中で、協力し合って暮らしていた。原発事故によって奪われた。2023年に避難指示が一部で解除されたが、98%以上がいまも帰還困難区域のままである。

住民の約半数が「ふるさとを返せ!」と訴え、国と東電に原状回復を求めた裁判の2審が、2026年3月に結審した。10月に判決が言い渡される。震災と原発事故から15年。原告たちのふるさとへの思いと原発事故の被害を、これまでの取材から振り返る。

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「行くのも地獄、とどまるのも地獄」

「私の家系は、私で18代になります。自宅は古いところで築300年になり、その時代時代の祖先が手入れをし、維持してきました。祖父は、蔵、倉庫、馬屋を解体し、新たに建設しました。また私も台所を改築し、息子夫婦のために部屋を増築しました。しかし、祖父も私も母屋はほとんど以前のままに残していました。私が台所を改築した際、大工さんが、この母屋は「ちょうな」削りの柱や梁なので、相当古い貴重な建物だから、壊さないで大切にしてください、と言われたのを覚えています。先祖が作った庭も、毎年剪定をし、手入れをしながら、新たに植木を植え、裏庭も作り、福島の花見山のような庭園にしようという夢がありました。少しずつ形を整え、時間をかけながら、ゆっくり庭園を完成させてきました」

 2021年1月7日。福島地方裁判所郡山支部の303号法廷に、今野正悦の声が響いた。抑制的な声に、張りつめた雰囲気が常に漂っている。怒りを押し殺すように、あるいは悲しみの波を打ち消すように、淡々と、しかしはっきりと彼は語った。ひとたび、感情に身を委ねてしまえば、もう戻っては来られない。そうなれば「最終弁論」という、いま求められている役割を果たすことはできない。傍聴席からは彼の背中しか見えないが、法廷に響いていたのは、そういう緊張感のもとに出た声のように聞こえた。

「しかしながら、あの原発事故で避難を余儀なくされ、はや10年になろうとしています。その間、一時帰宅するたびに、自宅は獣が入り、布団などはズタズタにされ、天井は獣が走り回るのか、抜け落ちてしまいました。母屋が日ごとに朽ちてゆく姿を目にするたび、悲しくなりました。庭も荒れ放題になってしまい、イノシシが庭木の根元を掘り、大切に育ててきた植木がみんな枯れてゆきました」

「私は、そのような朽ち果てていく家を見ながらも、何とか、津島の自宅に通ったりしました。当初は妻と一緒に通っていましたが、そのうち『そんな姿を見たくない』と、妻は一時帰宅も行かなくなりました。息子家族も、子どもが小さいがために、ほとんど津島に帰ることはできず、私だけが一人で、津島の荒れ果てていく自宅に戻っていました。しかし、もはや荒れた果てた家の中を掃除することもできず、朽ち果てた庭園を造り直すこともできませんでした。2018年9月の、進行協議期日に裁判官に見てもらった家は、あの後、急激にひどい状態になりました。とても同じ家とは思われないくらいひどい状態になってしまいました」

その家は、特定復興再生拠点区域に含まれていた。帰還困難区域の中に、避難指示を解除し、居住を可能とする区域のことである。これが、また今野を悩ませることになった。

「自宅が復興拠点に入っているので、除染をし、家屋は希望があれば解体するとの連絡がありました。祖先が代々守ってきた家、受け継いできた家、そして私が生まれ、育って70年。いや、避難していたので、60何年の思い出のある自宅を、解体するのかしないのか。私自身迷いました。代々、三匹獅子舞と田植え踊りの『庭元』として、守ってきた母屋と庭を失ってしまえば、自分だけではなく、地域の人たちの『ふるさと』を奪ってしまうことにならないか。部屋を増築したときの大工さんの言葉も頭をよぎりました。もし解体したら、父は、祖父は何て言うだろうかと、思い悩みました」

「このままなら朽ちていくだけ。手入れをしようとしても、家を直すこともできず、室内を片付けることもできず、せいぜい家の周りの草を刈ることぐらいしかできない。それですら、いまだ滞在時間もほとんどない状況が続いています。いつ帰れるようになるのか、復興拠点だけ除染されて、解除になり、津島に自分たちだけ帰ったとしたって、そこでいままでみたいな生活はできないのではないか。孫たちは津島の自宅に来てくれるだろうか。除染されたとしても安全だと言えるのだろうか。と、いろいろな思いを家族と何回も相談しました。しかし、自然につぶれていく家の姿を見ているよりは、自分の意思で解体した方が、その方が、気持ち的に楽なのではとの思いから、解体する苦渋の決断をしました。
 解体業者から、解体が終了したので立ち会ってくださいと言われ、11月30日に立ち会いました。何もなくなってしまった宅地跡を見て、ここでの生活の思い出がすべて消されてしまったような気持ちになり、自然と涙があふれてきました。
 情けなく、悔しいです。解体を決意した人はみんなそうだと思います。朽ち果てる家を見続けるのはつらいけれど、解体されて何もかもなくなってしまった自宅の跡を見るのも、苦しい。どっちを選んでも心落ち着くことはありません。
 一方で、除染の対象となって解体される津島の家屋は津島全域の中では、ほんの一部であり、大多数の家屋は、除染や解体の予定も示されないまま放置されています。この人たちは一時帰宅するたび、我が家が朽ちていく姿を今後も目にしていかなければならないのです。私もそうだったので、みなさんさぞつらいことだと思います。とどまるのも地獄、行くのも地獄。津島の人はみんな、先祖から受け継ぎ、大切にしてきた我が家を解体したいと思っている人はいないはず。一生ここで暮らそうと思っていた自宅が、突然解体しなければならない、そんなつらい思いを、もう誰にも味わいさせたくないです」

そして、最後にこう付け加えた。

「原発事故がなければこんな思いをすることはなかったと思っています。いまの私の気持ちを申し上げました」

 今野は、表情を変えずに席についた。法廷では、天を仰ぎ、ため息をつく傍聴者もいれば、涙を流す原告もいた。普段は目を合わせようとしない国や東京電力の代理人も、このときばかりはうつむいていたように見えた。
 傍聴席にいた私は、かつて訪れたあの場所が更地になったさまを想像するが、うまくいかない。