子どもの成長が生きがいだった日々
(角谷武美さん)
「私は神戸市の小学校の教員として37年間働いてきました。当たり前ですが、子どもが好きで先生になりました」
子どもが大好きな角谷さんの第一子として美果さんは平成元年、1989年9月30日に生まれました。角谷さんにとって、美果さんの成長は生きがいでした。
(角谷武美さん)
「女の子ということだけで飛び上がるほどうれしかったのを覚えています。男兄弟しか知らなかった私には、どれほどかわいい女の子だったでしょう。まさに目に入れても痛くないとはこのことだと思いました。一日の仕事が終わって疲れていても、娘の美果の顔を見に家に帰るのがとても楽しみで、元気をもらう毎日でした」
「教師という仕事をしながらも感じていましたが、子どもという存在はそこにいるだけでも人を幸せにするものだと改めて感じました。そして、大人になってからも親の私が言うのもなんですが、かわいい子どもでした。明るくよくしゃべる気さくな女の子でした。そして家族の中で娘の美果は私によく意見を言ってくれていました」
角谷さんは美果さんに続き長男にも恵まれ、忙しい仕事の中でも子どもの成長を生きがいに日々を送っていました。美果さんは高校を卒業し、専門学校を出て美容師になり、垂水センター街にある美容室に就職しました。
「家族4人で生活していく中で、みなさんと同じように楽しいことや悲しいことなど、ごく当たり前のいろいろなことがありました。そしてこのような生活がこのままずっといつまでも続くと思っていました。しかし、あの事故があった日から私たち家族の楽しい思い出はすべて消え、苦しみや悲しみに変わっていきました」
そして、今から8年前の2017年10月12日午前8時2分、神戸市垂水区にある商店街の細い歩行者専用の道で事故が起こります。
その時、角谷さんは校長として小学校の修学旅行で広島県を訪れていました。角谷さんのもとに『美果が交通事故で死んだ』と突然の連絡が入りました。
【第2話】へ続く
「ビニールに包まれた遺体、チャックを開けると目をつぶり眠る娘が」














