「これはもともと詩ではなく、宮沢賢治が自身のために書いたメモ書きです。
永瀬清子は、2人目の子を産んだ1933年、27歳の時に、草野心平によって宮沢賢治の言葉に出会いました。こんな風に書いています。
『一読して忘れていたものを見て覚醒する』
永瀬清子は、生涯にわたって宮沢賢治を理想として追い求めました。
しかし、会えないまま、その年に宮沢賢治は亡くなってしまいました。
宮沢賢治が亡くなった翌年の1934年2月16日、永瀬清子は誕生日も命日も2月17日ですが、その1日前に東京で行われた『宮沢賢治友の会』という追悼の催しに、永瀬清子は出席しました。
そこで、賢治の弟である宮沢清六が持ってきた賢治の形見であるカバンの中から、手帳が見つかったんです。その手帳に『雨ニモマケズ』が走り書きされていました。
永瀬清子は、この『雨ニモマケズ手帳』が発見された歴史的瞬間に立ち会ったことになります。そういうわけで、この歌をまず聴いていただきました。
宮沢賢治は天国でどう思っているんでしょうね。自分のためだけに書いたメモが、一番有名な言葉になっちゃうなんて。
『そういう人に私はなりたい』という結びです。
私はここを歌うたびに、宮沢賢治の『そういう人になりたいけれども、なれない』自分を律するための言葉なんだな、ということを強く感じます」














