《五輪出場の夢を戦争に奪われ、大空へ飛び立ったジャンパー》
札幌のメディア・プロデュサー、久保俊哉さんは20年前、『札幌国際短編映画祭』を立ち上げ、いまも中心メンバーとして活動を続ける人物だ。映像制作にも詳しく、特攻に散った登喜夫さんの人生を映像化して、後世に残したいと考えている。
2025年12月には、鹿児島県霧島市にある、旧日本海軍『国分第二基地』の跡地を訪ね、久保登喜夫さんの名前を見つけ、カメラに収めた。
久保俊哉さん(68)
「久保登喜夫っていう名前が出てきて、ここから飛んだんだなっていうのが判ったんです」

2月、久保俊哉さんの姿が、小樽市の天狗山にあった。かつてスキー王国と知られ、ここ天狗山にも大きなジャンプ競技場があった。
久保俊哉さん(68)
「天狗山から見る港を見ながら、(登喜夫さんは)滑ったり、飛んだりしてたのかなとか。日本のジャンプ選手と特攻隊と重ねてしまうんですけれど、“日の丸飛行隊”とも言われているし」
「飛ぶっていう行為もまったく同じで、でも、飛ぶ意味が違っていて…ジャンプ選手として、栄光つかむために努力してきたことが、戦争で全然違う方向で飛んでいくわけですから」
夢を掴むことさえ、許されなかった時代があった。札幌が、晴れの舞台となったのは、幻のオリンピックから32年後、1972年(昭和47)のことだった。















