《工作員チェ・スンチョルに"背乗り"された函館出身の小住健蔵さん》

そんなチェ・スンチョルは、拉致実行の半年後。1979年初め、蓮池さんの前から姿を消した。そして、北朝鮮工作員のチェは、日本人に成りすます「背乗り」と呼ばれる手口で、函館出身の小住健蔵さんの、公的な身分を奪っていた。

小住さんの妹は、兄の人柄について、こう話している。

背乗りされた小住健蔵さんの妹・遠山明子さん(2014年取材)
「優しい人ですよ。一つのお菓子でも必ず分けてくれますからね」

小住健蔵さんは1961年3月、28歳のとき、函館から東京へ向かう。その後、長らく家族との連絡が途絶えていたが、上京から19年が経った1980年、函館に住む妹が、ある不審な動きに気づいた。

兄・健蔵さんの戸籍が、知らない間に、函館から東京・足立区へ移されていた。もう一人の妹が連絡先を調べ、電話をかけてみると、同居人を名乗る人物が電話口に出た。

背乗りされた小住健蔵さんの妹・本郷紀代子さん
「小住健蔵で電話は通じた…でも、本人は働きに出ているからって、ただそれだけでした」

電話口の男は、同居人だと告げ、小住健蔵さんは独身で、日雇いの仕事をしているなどと答えた。不審さは拭い切れなかったものの、兄の安否が確認できたことに、小住さんの親族らは安心したという。

だが、警察は当時、この小住健蔵を名乗る男をマークし、行動を監視していた。男に部屋を貸していた大家は、室内を見た時の印象を、鮮明に記憶していた。

部屋を貸していた大家
「ベランダ側の、6畳間の座敷の一番窓側に大きなFMラジオが…。アンテナが天井まで伸びて建っていた。(Qほかには?)何も家財道具がない」