江戸時代末期、蝦夷地にはロシア船が来航し、通商を求めました。
これを脅威と捉えた江戸幕府は東北の諸藩に蝦夷地の警衛を命じました。
これにより、仙台藩は蝦夷地に兵を送ることとなり、仙台藩に属していた岩谷堂(現在の岩手県奥州市江刺)の足軽も出動しました。

その足軽たちの活動の様子や、現地の人たちとの交流を紹介する企画展「北の防人たち」が奥州市で行われています。
この企画展は奥州市にある「えさし郷土文化館」の開館25周年を記念して行われているもので、足軽たちの活躍や現地での暮らしが分かる資料86点が並んでいます。
蝦夷地に渡った仙台藩の拠点となったのは現在の北海道白老町に作られた「白老元陣屋」。
岩谷堂この元陣屋から根室や国後島に出向き、ロシアの脅威に備えました。

彼らは砲術(鉄砲や大砲を扱う術)に優れていたため、主に沿岸部でロシア船を迎え撃つ役割を任されていました。
会場には白老元陣屋内の建物の配置を示した「蝦夷白老仙台陣屋図」や、蝦夷地警衛の勤番にあたった岩谷堂の足軽が現地のアイヌの人たちを描いた「蝦夷人像」などが展示されています。














