青森県の歴史を紹介するシリーズ、ふるさと歴史館。第50回は、青森市の大衆割烹、芝楽です。ハレの日に家族連れで使う店として人気を博したその歩みから昭和の飲食店の移り変わりをたどります。
高度経済成長期に入り庶民の暮らしにゆとりが生まれ始めた時代。人々のなによりの楽しみは年に数回、着飾って街中へ出かけることでした。青森市民の定番コースは新町通りでの買い物と、大衆割烹・芝楽での食事。ご馳走を家族水入らずで楽しみ、自然と表情が和みます。
店に20年以上通っていた青森市の畠山光吉さん72歳です。
*畠山光吉さん
「料理がバラエティーに富んでいた。お子様向けもあるし、大人向けもある。いまでこそ、ファミレスが花盛りだけど、なかった時代は、唯一の楽しみだった。『きょう芝楽へ行くぞ』と言われたらうきうき」
芝楽は善知鳥神社の西側、いまは駐車場となっているこの場所に1953年に開店。時代に先駆けた経営で1962年には県内でいち早く、エスカレーターを導入。当時はデパートにしかなく、物珍しさに訪れた人は何度も、利用したといいます。
料理も、終戦前後の食糧難を経験した人たちが豪勢な料理をお腹いっぱい食べられるようにとの思いで「大衆割烹」として手ごろな価格で提供しました。当時の賑わいぶりを2代目社長の津島康栄さんは、こう、ふり返ります。
*2代目社長津島康栄さん
「店ができたころは洋食はめったに食べにいけなかった。父親が大衆割烹の料理一つ一つを売り出して、安い料金で大衆割烹がだす料理が食べられると感謝の言葉をいただけた」
店のメニューには天ぷらや釜めしといった看板商品のほかに、当時としては珍しい若鳥の蒸し焼きやグラタンなどが載っています。こうしたメニューの豊富さが、家族で訪れるのにはうってつけの店として芝楽の人気を支えました。
*(お客さん)
「家族連れが多くて、肩ひじをはらなくて来られる」「何十年も来た。三十年も来た。よそのところで食べるのが落ち着かないのと、なんかここで食べると安心」
活況を呈した芝楽も時代が進むにつれて庶民の嗜好の変化に直面します。食生活の洋風化で人気が高まってきたのは、肉料理がメインのレストランでした。さらに、車の普及も拍車をかけます。マイカーを持った家族連れは、大きな駐車場がある郊外のショッピングセンターへとくり出すようになりました。芝楽の客足は次第に落ち込み、1995年、42年間の歴史に幕を閉じます。
*2代目社長津島康栄さん
「親が作ってくれた店です。お客さんも大勢来てくれた店を、自分が守り切れなかったのは、残念に思います。いまの経済、車社会。駐車場がないと商売ができないのが致命的」
注目の記事
東日本大震災の2日前にM7.3の地震「その時に呼びかけていれば...」反省踏まえ運用スタート『北海道・三陸沖後発地震注意情報』 私たちは何をすべき?【災害担当記者が解説】

【震度6強の地震】初の「後発地震注意情報」を発表 「最悪のケースは3.11」 今後1週間をどう備える?【news23】

防災グッズ、ガソリン、連絡手段…「1週間の防災対応」でやるべき備え 初の「後発地震注意情報」発表、去年の「南海トラフ臨時情報」から学ぶ対応

「ひみ寒ぶり」記録的不漁でブリ丼4380円 目当ての観光客も高値に戸惑い 北陸の港町に”経済効果10億円”もいつ富山湾へ

「どうした?」突然姿を消した仲間…瞳孔は開き、脈もなく草原に倒れていた 心臓が止まった後 運命を分けた“5分” 熊本

「なめまわし皮膚炎」ガサガサ唇なめないで!冬に増える乾燥トラブル 幼児や小学生なりやすい?

「どうやってこの子たちを守っていけばいいのか…」周辺店舗にも影響 地震で倒壊の恐れあるNTT青森八戸ビルの鉄塔 付近住民からも不安の声「怖い」「最近は眠れない」 求められる一刻も早い対応【青森地震】

過去30年にわたり“ひずみ”蓄積の『三陸はるか沖地震の震源域』 東北大学の助教「大きい破壊が起こる可能性がある」近い将来発生する可能性がある地震への備えを呼びかけ「事前の備えを」

被災地を襲う「厳しい寒さ」青森県内各地で『真冬日』に 観測地点23のうち9地点で今シーズンの最低気温観測 13日も冬型の気圧配置が続くか…【大雪シミュレーション・週間天気】

地震で倒壊の恐れあるNTTのビルの鉄塔 視察の青森県・宮下宗一郎 知事がNTT側へ工期を1日でも短縮するよう要請「県・国から技術チームを派遣して速やかに対応できるよう対処」





