岩手県山田町に鉄道が通ってから、2025年で90年目となります。
開通まで、そして開通後も決して順風満帆とは言えなかった、山田町と鉄道との歴史を振り返る企画展が山田町で行われています。

「山田と鉄道の物語」と題して、山田町の「鯨と海の科学館」で行われているこの企画展には、山田町と鉄道との関わりについて知ることができる資料、およそ100点が展示されています。
山田町は北も南も悪路のため、明治時代に「盛岡まで行くのに馬車で12時間かかる」と言われた交通の難所でした。
そこで、盛岡まで鉄道が通った明治23年、地元の代議士が「盛岡から山田を結ぶ鉄道の敷設を」と国に嘆願します。
これに基づき、明治25年に「盛岡ヨリ宮古若ハ山田二至ル鉄道(山田線)」が予定線に編入されましたが、なかなか実現には至らず、山田線が開通したのは最初の嘆願から48年後の昭和13年のことでした。
ようやく開通した山田線でしたが、その後も台風被害や東日本大震災などで鉄道が寸断されるなど、けわしい道のりをたどりました。
また、平成31年に山田線の宮古駅~釜石駅間はJR東日本から、第三セクターの三陸鉄道に移管。

数々の困難に遭いながらも、その時代その時代の大勢の人たちの尽力により、山田町を走るレールは維持されてきました。
会場には山田線開通時のにぎわいの写真や、活気を感じる陸中山田駅の駅員室の写真、就職列車を見送るホームの写真などが並び、山田町の人々の鉄道への愛着が伝わってきます。
「鯨と海の科学館」専門員の和井内三穂子さんは「当時の人たちが『通そう』『残そう』と努力したありがたみが伝わってくる展示になっています。展示を見て『これからも山田に鉄道を残していきたい』と感じてもらえたら」と話していました。

この企画展は30日(日)まで開かれています。














