被災地の子供に笑顔になってほしいと石川県輪島市の小学校で本場の落語家を招いた寄席が開かれました。企画したのは、地元出身の三味線奏者です。

11月4日、町野小学校で開かれた「のと応援学校寄席」です。
企画したのは、舞台袖で出囃子を演奏する上方落語の三味線奏者で、輪島市出身の豊田公美子さん。高校時代まで輪島で過ごし、今は大阪を拠点に活動しています。
豊田さん「たくさん笑ってもらって、元気をもらって帰ってもらったらそれが一番」

10月下旬。
豊田さんは輪島市山岸町の実家で本番に向けて準備をしていました。
豊田さん「これは寄席文字といって、落語の時の名ビラなどに使う書体」
豊田さんが落語の世界に入ったのは大学生のころ。この名ビラがきっかけでした。

豊田さん「落研に入った理由が落語やりたいからじゃなくて、寄席文字を見て、これを書きたいなと思ったから。まずは落語をやって、サブ的にお囃子や寄席文字をやって良いということだったので、当時は落語も一生懸命やった」
仮設住宅で暮らし、日中は倒壊を免れたガレージで過ごす両親は、娘が落語の道に進んだことに驚いたと話します。

母「落語の世界に入るとは夢にも思わなかった。喋らない子やもん。ところが、大学の落語研究会を観に行って、落語をやっているのを見てびっくりした」
母「父親に似たんじゃないかな、言葉が少ないのは」
父「喋るのは大の苦手なもんで」

実家は能登半島地震で全壊となりました。大阪にいた豊田さんがふるさとに駆け付けられたのは、1月4日のことでした。
豊田さん「いろんな人に助けてもらった。車がなかった時も通りがかりの人が乗せてくれたりとか。私も何かの形で力になれたらいいなと思った」
豊田さんだからできること。それが落語で子どもたちに笑顔を届けることでした。

開演当日。会場の設営を進める豊田さん。企画に賛同して集まった上方落語の第一線で活躍する落語家や曲芸師も自分たちで高座や仕切りを作っていきます。
桂歌之助さん「単純に日常を忘れて、落語の世界と演芸の世界を楽しんでもらえれば」
地元で「のと応援学校寄席」の開催を後押ししたのが、輪島市教育委員会の平田勝さんでした。豊田さんを小学校の頃から知る同級生です。
平田さん「豊田さんは活発な子で、すぐに行動を起こすような子でした」
豊田さん「人見知りって言うかと思った」
平田さん「そんなことはないと思うな」
同級生と協力して実現した学校寄席。町野小学校の児童と東陽中学校の生徒に加え、近くの仮設住宅に住む人たち合わせて約40人が集まりました。
(出囃子~~~♪)

豊田さんの三味線で学校寄席がスタートです。落語に馴染みがなかった子どもたちの目が輝きます。
男児「笑い過ぎて笑えないくらいだった。移動せずに、自分の住んでいる場所で観られたからよかった」
女児「ハラハラドキドキしたり、おもしろい話があってよかった」
来場者「思いきり笑えて、ドキドキさせられて、良かった」
休憩の後には、演者が自分のキャリアについて紹介する時間が設けられました。わき役に徹してきた豊田さんも観客の前に出て自分のことを話します。

「(小さい頃から三味線をやっていたの?)やっていません。(小さい頃なりたかった職業は?)漫画家です(えぇ~)」
本物の道具を使った曲芸体験も。

笑いと熱気に包まれた2時間となりました。
平田さん「今回のゲストは、なかなか呼べるような方々ではない。豊田さんの横のつながりには感謝している」
豊田さん「児童たちはおとなしいと聞いていたので心配だったが、思った以上に笑ってくれた。寿限無をみんなで合唱しているときには泣きそうになった。人と人が繋がってできたことなので、なかなかうまくいくことはないかもしれないが、ずっと続けていけたら良いな」

すべてを忘れて楽しめる時間。
豊田さんのふるさとへの恩返しはまだまだ続きます。














