愛媛県今治市内の寺で保存されている古文書が、新たな県内での発見は珍しい戦国時代のものとみられることが確認されました。

古文書が保存されていたのは愛媛県今治市の東禅寺です。この寺は、太平洋戦争末期の今治空襲によって本堂などを焼失したものの、古文書が入っていた箱は戦火を免れ、7年ほど前に今の住職が発見しました。

東禅寺 佐々木康祐 住職
「普段はこのような向きで収められておりまして、たまたま向きを変えましたときにこのように下に引き出しがございました」


その引き出しに入っていたという書状がこちら。

見つけて以来そのまま保存されていましたが、11月20日まで愛媛県美術館で開催されていた「国宝 高野山金剛峯寺展」をきっかけに今回の発見につながりました。

国宝 高野山金剛峯寺展の会場の一角には、中世の豪族・河野家当主の肖像画など高野山と伊予の国の関わりを紹介するコーナーが設けられました。その中にあった1通の書状。ここに記された署名が寺のものととても似ていることに気づいたのです。


東禅寺 佐々木康祐 住職
「私はどちらかというと仏像などの方が大変興味があったもんですからね。書状っていうのは通り過ぎることが多い。最初はちょっと通過するような感じでさっと見ていたんですけども、ちょっと待てよということで戻りまして。名前を見てましたらお寺にある書状の署名と花押とよく似ておりました」

高野山に残る書状に記された名前は得居通栄。今の今治市菊間町あたりを所領に持った戦国時代の得居家当主で、河野氏の一族です。

この書状と寺の古文書を見比べてみると、名前の筆致が非常に似ていることが分かります。

そこで実際に、主に古文書を専門とする愛媛県美術館の土居学芸課長が寺にある実物を見て検証を行うこととなりました。この日までに10人余りの専門家が写真で確認し間違いないとの評価は得ていますが実物による検証は不可欠です。
使われている紙や文字の特徴などを慎重に確認した結果…。

県美術館 土居聡朋 学芸課長
「本物と見て間違いないと思います。戦国時代の原本と見ていいと思います。非常に花押に勢いもあります」


さらに、瀬戸内海を中心に中世の日本史を研究する伊予史談会の山内会長も…

伊予史談会 山内譲 会長
「文言、言葉遣い、字体。花押が若干違うところもあるが基本的な筆遣いは同じですので、今まで全く知られていなかった戦国時代の新出文書で間違いない」


愛媛県内に残る戦国時代の古文書の原本は、昭和58年に編纂された愛媛県史でもわずか150通ほどしか確認されていません。そして編纂からおよそ40年の間に新たに見つかったのはわずかに数件とのこと。

伊予史談会 山内譲 会長
「こういうふうに、寺の中に眠っていたものが出てくるというのはそんなにはない」

文章には日付しかなく、いつ書かれたものかは不明ですが、高野山の文書と合わせて考えると1540年代あたりと考えられます。

さらに、この書状自体も価値が高いといいます。

愛媛県美術館 土居聡朋 学芸課長
「この文書が良いのは表装がされてなくて、原本の状態が非常によく残ってるんですね。なので戦国時代の文書の形式もうかがうことができて、そういう意味でも非常に資料的にも貴重なものなんですよね」

展覧会に河野家関連の文化財を貸し出した高野山別格本山・金剛三昧院の住職も…

久利康暢住職
「うちの寺としましても愛媛県と非常に縁の深い寺ですので、何らしかの役に立てたことは非常に喜ばしいことだと思います」

高野山の展覧会が開催され、寺の住職が偶然目にする-。様々なコトが重なって新たな歴史の一コマが刻まれる-。これも何かの縁で結ばれているのかもしれません。