堤防がおよそ100メートルにわたって崩壊したことを伝える 新池の碑

続いて訪れたのは、宮崎市下北方町にある「新池の碑」です。

「大正五年十月豪雨堤防ヲ壊ルコト五十間乃チ」

1916年、大雨でため池が決壊し、堤防がおよそ100メートルにわたって崩壊したことを伝えています。

しかし、この石碑にも宮崎市史にも当時の被害状況などの記録は一切残っていません。

この石碑について調べている大宮地域まちづくり推進委員会の山口泰孝事務局長は、当時は、虫食いなどによって紙に記録を残すことが難しい時代だったため、後世に残る石碑に刻んだのではないかと言います。


(大宮地域まちづくり推進委員会 山口泰孝事務局長)「手間がかからずに、ずっと残る歴史をものとしては、石碑というのが非常に意味があったと思います」