2000年に発生した鳥取県西部地震から、6日で25年です。
記憶の風化が懸念される中、災害の教訓を未来へ繋げようと、防災について考えるシンポジウムが米子市で開かれました。

鳥取県 平井伸治知事
「実際には生き埋めになるという騒ぎもありましてそれをみんなで助け出したそういう事例もございました」

平井知事のあいさつで始まったシンポジウムは25年前に地震が発生した時刻、午後1時半に開会しました。

2000年10月6日に発生したマグニチュード7.3の鳥取県西部地震では、境港市と日野郡日野町で 最大震度6強を観測。 
死者こそいませんでしたが、およそ180人が重軽傷を負い、2万2000あまりの家屋が被災しました。

6日、米子市で開かれた「鳥取県西部地震25年シンポジウム」には、近隣住民などおよそ150人が参加。
防災に対する講演のほか、平井知事や能登半島地震で活動した輪島市災害ボランティアの会の代表らが登壇し、災害に強いまちづくりについてパネルディスカッションを行いました。

日野町で仕事中に被災
「地面がひび割れたり柱が折れたりして。知らない人もいるし私自身も忘れかけたから参加しました、思い出すために」

鳥取大学で講義中に被災
「学生諸君退出するかしないか、とりあえずドアを開けてって感じでした。あれから25年ということでそれから何ができたのか、これから何をすべきかってところが会議の非常に重要なとこだと思います」

25年という歳月で薄れがちな記憶と教訓を風化させないように改めて地域全体で防災意識を高める1日となりました。