糸満市の平和祈念資料館友の会初代会長で沖縄戦の語り部としても活動した大城藤六(おおしろ・とうろく)さんが老衰のため亡くなりました。95歳でした。
糸満市真栄平出身の大城藤六さんは1930年生まれで、国民学校高等科の生徒だった14歳のころ沖縄戦を体験。一家全滅となった世帯も多い沖縄本島南部で一族の墓に身を潜め、米軍の砲撃にあい、祖母をはじめ多くの親族を失いました。
▼大城藤六さん(83歳当時の取材)
「この弾で亡くなった。祖母が即死。弾でやられて僕も意識不明だよ。大変だったよ。ウジ虫も湧くんだから。生きている人に」
戦後、中学校の教員となった大城さんは、平和教育に尽力し、糸満市の教育長や平和学習の支援を行う平和祈念資料館友の会の初代会長などを歴任。長く語り部としても活動し、自身の戦争体験を後世に伝え続けてきました。

▼大城藤六さん
「今生きている僕らが伝えない限りだめだと思う。誰がこれを伝えていくか、戦争を。この後輩になる子どもたちが出てくることを期待している」
親族によると大城さんは今年1月から体調を崩し、9月28日、老衰のため糸満市内の病院で亡くなりました。95歳でした。告別式は、2日午後1時から糸満市のAPセンター南斎苑で執り行われます。