宮古島出身の作曲家:故・金井喜久子(1906~1986年、旧姓:川平)。
1906年に生まれ日本人女性として初めて交響曲を作曲した沖縄音楽の母です。

ピアニスト 高良仁美さん
「その辺はやっぱり煎じて飲みたいぐらい、お薬にして飲んだらもっと私もパワーをもらえるかなと」

音楽評論家 片山杜秀さん
「やっていることが桁外れなんですよね、まだ時代が早すぎた」

偉大にして、未だ広くは知られていない作曲家。沖縄と音楽に生きた、その人生は、そして金井喜久子とはどんな人物だったのか?その功績を見直そうと金井喜久子プロジェクトが発足し、フリーアナウンサーの宮城さつきさんが発起人となり、取り組みを進めています。

「これがわたしです。ええーかわいい、どれ?これこれ」

かつての金井が写る傍らに立つのは、宮古島出身の弟子:新城悦子さんです。
新城さんは復帰前の1960年代後半、東京の金井家に住み込み、音楽を学びました。

金井の弟子 新城悦子さん
「これが先生の筆跡よ。すごいでしょ、がーーと、太ペンで書くから」

宮古島の自宅に、たくさんの金井の資料を保管する新城さん。

金井の弟子 新城悦子さん
「今ね、先生を知っていて先生と行動したというのは私一人しかいないんですよね、宮城さんからプロジェクトの話があったときにすごい良かったと思って、バトンタッチできると思って」

宮古島から県立第一高等女学校を経て、現在の東京芸大作曲科に女性としては初めての入学した金井。
編曲したわらべ歌「じんじん」では日本(にほん)レコード大賞を受賞するなど様々な功績を持つます。

作曲するクラシックの最大の特徴は沖縄の旋律が、ちりばめられているところです。
東京の金井家に残る1940年日比谷公会堂で収録された金井最初の、そして日本人女性初の交響曲の音源があります。

かなり貴重な、戦前の音源ですがそこに沖縄の旋律は見当たりません。
金井の夫、儼史郎(げんしろう)さんは生前こんなことを語っていました。

金井の曲をCD化した 宮山幸久さん
「これはお母さんがこの曲だけはヤダって言ってたんだっていうことですね。これは本当はやっちゃいけないんだよねって言っていたのをよく覚えています」

義理の娘:金井幸子さん 
「私もこれは絶対ダメだよって、ハハハ」