「ほかの人には書けないような自分自身で見たり考えたりした事を」
(沢知恵さん)
「子どもの作品全体に対しては、次のように書いています。
『ほかの人には書けないような自分自身で見たり考えたりした事を書く事と皆さん方の年頃では具体的にかくのがいいと思います。具体的と云うのはすぐ目に浮かべてみられるように。と云うことです。すぐ目に浮かべて見られるようにということです。それで花というよりは梅の花。ただ梅の花というよりもどんな梅の花と判る方がいいのです。空想した事についてもそうです。しかし大きくなれば又別の注意がいりますけれど、今はそうした事に気をつけて下さい』。
(『楓』1957年9月号)
またおとなの方に戻ります。
『選評には大変手間どる時と割に早く選のすむ時がありますが、今度の募集では正味二日半くらい、いつもよりはずつと早い方でした』。
(『楓』1956年11月号)
つまり、いつもは何日もかかっていたということなんですね。それを2つの療養所の月刊誌でやっていたのです。すごいことです。
『光明園の方々は作品数も多く何と云つても粒のそろつていることに驚かされます。その他全体としても水準高まり、又ひどく判りにくい一人よがりの詩も少なくなりました』。
(『楓』1956年11月号)
チクリと言っていますね。
つまり、ひどくわかりにくい一人よがりの詩があった、ということが言いたかったんですね。
続いて『失明ということ』という詩についてです。
『Hさんの詩はそれを書くのに身体ごとぶつかつてはいつも倒れています。こちらでもどう手を貸すことも出来ない感じ。でも失明の中から何か一つを見つけて下さい。「歩けない歩けない」「どうしたらいいのだ」という言葉がぶつかつているHさんを表わしています。しかし本当は私を非常に心配させはらはらさせる言葉です。失明でなければ見えぬものがきつとあるにちがいない。それをつかんだ時、それが本当の杖でしよう。この詩ではその杖がまだつかまれていない感じです。詩を離れた評のようでしょうが、やはりそれが詩の評です』。
(『愛生』1960年5月号)
目の見えない人に向かって、よくこんなことを言えたなあ、と思います。あなたは見えないからこそ見えるものがあるはずでしょう、って。
『面白い詩と云うのは何かということを、私なりに又考へてみましたが、次のようにも云えるのではないかと思うのです。一、自分の心にその詩と共感、或は共通の立場を感ずる詩 二、新らしい発見のある詩 三、リズム感覚がある詩』
(『愛生』1960年9月号)
『このたびは作品数が少なかつたので以上順不同に感想をかきました。どうぞ次号は沢山こまるほど書いて下さい』。
(『愛生』1962年1月号)
『詩をかくと云うことは心をかくことであり、それは見る事、考える事によって心を敏感に又ふかくしなければならない仕事です。詩をかくことによって一層よく生きる事を勉強されますように祈ります』。
(『楓』1966年11月号)
『詩を書くには正直が一番かんじんです。書くことでその正直がうまくなります。(中略)下手でもいいからぜひ書きたいことをみんなでうんと書いて下さい』。(『楓』1970年11月号)
まだまだ紹介したいのですが、ほんの一部を聞いていただきました。どうでしょう。詩を書きたくなりませんか」














