UTY 安福太郎アナウンサー:
「小学生の時には、いつかディズニーリゾートに関わりたいと思っていたんですよね」
当時を思い出すように語る安福。
さまざまな角度から“夢と魔法の王国”を研究しはじめたそうだ。
ここに、“踊るアナウンサー”の原点がある。幼少期から積み重ねてきた“ショーへの憧れ”がSNSの動画に出ているのかもしれない。
もう一つの夢は東日本大震災がきっかけ
安福太郎の「もう一つの夢」が芽生えたのは、小学5年生の時だったという。
2011年3月11日、東日本大震災。その日、テレビに映し出された映像は、幼い心に深く刻まれたという。巨大な津波が街を飲み込み、車や家屋が流され、人々が避難している様子――。
とりわけ印象に残ったのは、アナウンサーが、被害状況や避難情報を落ち着いた声で伝える姿だったという。
UTY 安福太郎アナウンサー:
「大きな余震が襲うなか、冷静かつ的確に情報を整理し、多くの人々に情報を届ける仕事がアナウンサーだったんです。アナウンサーの声が一体どれほどの命を守ったのだろうか?と思いましたね」