その思いが、やがて憧れに変わる――。アナウンサーという仕事を意識したのは、この瞬間からだったと言います。

沖縄では震災の直接的な影響は少なかった。だからこそ、彼は客観的な視点でテレビの報道を受け止めることができたのだとも言います。――世の中の人とたちに役に立つ仕事は、こんな形でも存在するのだと認識した瞬間でもあった。

好きなことにのめり込む中高時代

中学に進学しても部活動には所属せず、部屋でインターネットに夢中になる生活が続いたという。

この頃は特に「ニコニコ動画」の動画に夢中になり、いろんなコンテンツをはじから見ていったといいます。特にダンス動画に興味を持ち、流行のアイドルソングやポップなどの楽曲に自ら振付をし、ダンス動画の投稿も定期的にチャレンジ――動画制作に興味を持ちはじめたのもこの頃からだったとのこと。

そして高校に入学すると、彼はアクティブに動き出します。
放送部に入部したのです。

UTY 安福太郎アナウンサー:
「アナウンサーになりたい…という夢のもしかしたら第一歩だったかもしれませんね」


取材、原稿作成、ニュース読み、そしてラジオドキュメンタリー制作と、幅広い活動に打ち込んだ。

特に心に残っている取材先は俳優で、同じ高校の1学年上の先輩・佐久本宝(さくもとたから)さん。

映画『怒り』(2016年公開)に出演した時の想いを取材してまとめ上げた原稿をアナウンスしたことだといいます。
このアナウンスは九州大会決勝まで勝ち進んだ思い出の残る取材だったといいます。

そして高校3年生。部長として12名の部員を率い、NHKホール(東京)で開催された全国大会に出場。特別な作品の受賞こそなかったが、「3年間の集大成として多くの部員を全国の舞台に連れて行けた」ことは、彼にとって何より誇らしい成果だったそうです。

こうして安福太郎の青春時代は、「踊ること」と「伝えること」――その二つが繋がり、彼の夢の道筋は、少しずつ形を成していったのである。

〈中編「東京ディズニーリゾートのキャストに」続く〉