「赤トンボ」が教官と訓練生を乗せ、大空を飛び回っていた

1943年10月。六野原台地には福岡県の大刀洗陸軍飛行学校の分教場として、木脇教育隊が開校。

土地をならして踏み固めただけの飛行場で、少年飛行兵となる訓練生らおよそ500人が飛行技術の基礎を学びました。

空襲を受け、閉鎖するまでの1年半、毎日のように95式中間練習機、通称「赤トンボ」が、教官と訓練生を乗せ、大空を飛び回っていたと言います。

また、訓練生の中には、のちに特攻作戦に加わった人もいました。

(間賀田 晴行 さん)
「前に訓練生のおやじさん(父親)に聞いたが、まず、『ここへ来たら死を覚悟しろ』という話だったらしい。死んで当たり前という精神、そういう植え付けがあったらしい。だけど、本人は死にたくない、生きたいと思う」