名古屋は日本のリーダー!復興計画は終戦から4か月後

その後、名古屋空襲により、栄は焦土と化してしまう。
しかし…

(大澤社長)
「名古屋は日本のリーダー。終戦後、完璧なほどできたのが名古屋の都市計画」

焼け野原となった名古屋は、全国でも類を見ない速さで復興への道を歩み始める。
市民の心に希望の光をともすため、名古屋市が計画したのは、テレビ塔と幅100メートルの久屋大通を作ること。終戦からわずか4か月後のことだった。

(若狭)
「終戦の年の12月には『立ち上がるぞ』という姿勢だった?」
(大澤社長)
「構想を出した、大構想。100メートル道路は全国で24本計画された。それがGHQによって止められた。復興計画に、こんな100メートル道路はけしからんと」

GHQによる財政の引き締めなどで、全国各地の構想は計画段階で頓挫。しかし、名古屋はいち早く工事に取り掛かっていたため、計画は遂行された。

そして、終戦からわずか9年でテレビ塔が完成。さらに、久屋大通も着実に整備が進められた。

当時の映像が、CBCに残されていた。

(当時の音声)
「テレビ塔が完成したのは昭和29年6月。この100m道路は名古屋の都市計画のシンボルです。緑の幼いことが印象的です」

CBCに残されていた当時の映像
CBCに残されていた当時の映像

一度は焦土と化した地に誕生した久屋大通。戦後復興の象徴であり、名古屋の街づくりの礎となった。

(若狭)
「昭和23年には松坂屋と民家しかなかった。随分、景色が変わりましたね」
(大澤社長)
「感無量。本当に名古屋は早く復興を遂げた、全国のモデル。『こんなにも変わりましたよ』と、写真を撮ったカメラマンにお伝えしたい」